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「地図から消される街」講演会のお知らせ など

 先日「こいのち通信」をコピペした中にも入っていたお知らせですが、朝日新聞記者の青木美希さんの講演会が明日(9月29日)にあります。タイトルの「地図から消される街」~3.11後の「言ってはならない真実」~」は、青木さんの本の題名です(講談社現代新書)。3.11以後、被災地を訪れ、被災者、県外避難者に話を聞き、激しい言葉ではなく、現実をそのままに語る青木さんの筆を通して、読む側には、あまりの理不尽さがひしひしと伝わってきます。除染は手抜きだらけで、フレコンバッグは積み上げられ、穴も開いているという現状を、「除染は完了したから帰還はOk」とはよくも言えるもの。子どもたちの健康、将来を心配して、敢えて避難をせざるを得なかった人たちに対して、帰らないのは非国民だと言わんばかりの対応。避難したものの、住宅、仕事の問題を抱え、子どもたちも大学をやめざるを得ない、という母親が自死に追い込まれる、という話は何度読んでも胸が締め付けられます。県外避難者に対する、住宅支援の打ち切りとは、なんという酷い仕打ちでしょうか。家も土地も仕事も家族すら、すべて奪われてしまった現実に目を向け、耳を傾けることなく、オリンピックへひた走るこの国に対する怒りを禁じえません。
 この夏、フランスとスイスでの気功講習会の折に、慣習となっている「福島の子どもたちの話」をする機会がありましたが、熱中症続出の酷暑の日本という気候条件に加え、福島がまだ復興からは程遠い状況にあることは、誰の目にも見ても、決してオリンピックを行える事態ではないことは明らかです。聖火が福島を起点とする、ということには誰もがビックリ。2020年の夏、日本に訪れることをボイコットしてほしい、と伝えました。ヨーロッパの国々で、少しでもそんな動きになったら、少しは一石を投じることになるでしょうか。オリンピックを行うためには、福島が安全でなくてはならないし、福島がもう帰還できる状態にあることを示したいがために、オリンピックを使うのではないか、とすら思えてきます。
 先日も、第四次(でしたっけ?)安倍内閣改造で就任したばかりの復興大臣が「自主避難者は担当外」と発言して問題になりました。どこまで無関心でいられるのか。明日は、実際に、家探しという切羽詰まった問題を抱えた避難者の方も見えます。本当に、現実を知っていただきたいです。青木さんを私に紹介してくれた保坂展人・世田谷区長も後半参加して、青木さんと対談することになっています。私たち区民がが福島の子どもたちのリフレッシュのために8年間続けてきている支援活動に対して、区の施設を提供してくれている世田谷なので、せめて、少しでも被災者、避難者に寄り添う体制が取れることを願っています。
 9月29日(日)1時半~4時半 宮坂区民センター大会議室に、どうぞご参集ください。

 このところ、青木美希さんの本をぜひ読んで!と事あるごとに勧めていますが、もう一冊、本の話。
 私がかれこれ5年くらいかけてなんとか形にした本が発刊しました。「ミニマムで学ぶことわざ」シリーズのスペイン語のものです(クレス出版)。私がことわざの本を書くなんて、誰も信じられないと思いますが、行きがかり上引受け、友人に助けられながらこぎつけました。一般的に言って、ことわざはなかなか興味深いものです。困ったり、辛くなったりした時に一言のことわざで、ああ、だれもそうなんだ、と気持ちが楽になったりします。100のスペインでよく使われることわざが、私たちの生活や人間関係のどこかを潤すことになったらいいなあ、と今は思っています。もし読んでみよう、と思われる方は、どこかで手に取ってみてくださいますよう。宣伝するのもおこがましいですが。
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「世田谷こどもいのちのネットワーク通信」より。 青木美希さんの講演会にぜひ!

ここまで音信不通、となると、いったい何してるんだろう、生きているのか、と思われるかもしれないので(そこまでの関心はないか・・・)、言い訳のように書きます。夏はいつものように、ヨーロッパに行っていました。どこにいようと、書いたり、送れたりはするので、あまり言い訳になりませんが。日頃、いろんな「通信」を作っていると、それで事足れり、という感じになってしまうので、それが私にとってはブログのようでもあります。私が、今は日本にいて、これまで通りにバタバタとしていることの証に、先日出した、「こいのち通信」(世田谷こどもいのちのネットワーク通信)の文をコピーします。その後は、まだまだ書きたいことがあるので、なるべく間を空けずに、いろいろお伝えしたいと思います。ここに書かれている9月29日の、朝日新聞記者の青木美希さんの講演は、絶対にオススメ! 「地図から消される街」を読んで、青木さんに絶対に話をしてほしい、とずっと思っていました。世田谷で、福島の子どもたちとその家族に外遊びを楽しみ、少しは放射線の少ないところでストレス解消してほしい、と願って「ふくしまっこリフレッシュin世田谷」を実施している私たちにとって、こんなに頑張っている記者は、まるで同志だし、こういう「新聞記者」を心から応援したいと思います。以下、「こいのち通信」です。
 【「暑い!」が合言葉のようだった夏もそろそろ終わりでしょうか。7月に45℃にまで達し、カラカラで砂漠のようだったヨーロッパに一ヶ月近くいましたが、8月は適度に雨も降り(雷も稲妻もありましたがき)、朝晩は涼しく、あるいは寒く、日本からの「暑い!」の悲鳴に、申し訳ないような気持ちでした。みなさま、夏の暑さにも負けず、お元気でお過ごしでしたか? 
8月はスルーしたので、二ヶ月ぶりでの通信です。昨年の前川さんの講演会以降、「さまざまな学びの場」を追求してきたこいのちですが、今年度の企画第一弾として、7月17日に川崎で「フリースペースたまりば」を開設し、その後、公設民営の「フリースペースえん」の開設に携わったわれらが「にしやん」こと西野博之さんに、官(行政)との連携作業の経験など語っていただきました。全国区で活躍しているにしやんを予約するのは困難を極めますが、この日は西野さんとは教育ジャーナリストの時代からのダチでもある保坂区長も参加。久々のビッグな対談となりました。ニシヤン曰く「33年前から居場所づくりをやっています。保坂さんがカメラマンになって、筏での川下りを取材、なんていう時代からの付き合いです」「権利条約を作るために、二年間で200回の集会を開き、民と官がぶつかりあって、わかりあえた」という民・官のコラボの経験は重たく、ステキですね。学ばなくては。ニシヤンの言葉はすごく心に響き、たくさん書き記したいのですが。 「えんを作る時は、『ごろり』と昼寝できるところがほしい」「生きているだけでOK,こんな私でも大丈夫と思ったら生きていける」と伝え、「大丈夫のタネ」をまくことを続けてきているニシヤン、やっぱりすてきだなあ。
会の中では、2月に開設した、初の公設民営の「ほっとスクール希望丘」のスタッフである今井さん、同じ希望丘の複合施設の中にある、青少年交流センター「アップス」センター長の下村さんなどから、世田谷区のこどもや若者の新たな居場所の活動報告も受けることができました。23年前に、区内のさまざまな子どもに関わる場に携わるグループや個人が集まってできた「世田谷こどもいのちのネットワーク」が新たな形で生まれ変わるか!? という予感もします。そしてそのことが、第三期目に入り、「教育」や「子ども・若者」に焦点を当てた改革に取り組もうという保坂区政の中での「参加と協働」の実現に寄与できれば、と願っています。この講演会を企画した張本人のイナセンの個人レポートをお読みください。テープ起こしをして、せっかくのいい対談を残さなきゃと思っている私です。
 さて、9月の早い時期に通信を出さなきゃ、と思ったのは、またまたステキな講演会(9月29日)のお知らせをしたいからです。昨年の前川喜平さんの講演会の後、懇親会の場で床に座り込みながら、必死でパソコンを叩いていたのが朝日新聞社、社会部で当時は世田谷担当だった青木美希記者でした。翌朝の朝刊に間に合うようにと。その時に渡されたのが「地図から消される街」(講談社現代新書)。3.11以降、とことん手足を使って現地に赴き、たくさんの人から話を聴いて書き上げた渾身の著書です。新聞協会賞、ジャーナリスト協会賞なども受賞したこの本は、声高に原発反対!と言っているわけではないのに、被災地に生きる人びとのかき消されていく苦悩、叫びを通じて、読む側に迫ります。こんなこと許されていいわけはない。そして原発事故から派生するあらゆること何も解決されていないのに、帰還が叫ばれ、オリンピックは福島から、などとすべてがなかったことにされ、忘れ去られようとしていることに対する言いようのない憤りがわいてきます。この本を手にした時から、青木さんにはぜひ「こいのち」や「福島の子どもたちとともに・世田谷の会」で話をしてほしいなあ、と思っていたのですが、今回実現されることになりました! 青木さんには、昨年12月にも「ふくしまっこリフレッシュ」の活動を羽根木プレーパークで取材していただきました。8月27日の朝日新聞の夕刊には青木さんの書いた記事が大きく載りました。「原発避難 夫は太陽光に挑んだ」というタイトルです。福島第一原発がある双葉町で生まれ育ち、第一原発で作業員として働いてきた遠藤浩幸さんが、鹿児島に避難して会社を立ち上げ、太陽光発電の設備を造り始めましたが、完成間近に50歳で急死され、そのおもいを家族が継ぐことになったということが書かれています。淡々と事実が描かれる中で、哀しみ、やるせない気持ちがふつふつとわいてきます。すぐに青木さんにメールを入れたら、「載るまでに半年かかりました」と返事がありました。とてもいい記事です。ぜひ読んでください。頑張っている記者は、とことん応援したくなります。保坂さんも来られることになりました。青木さんを紹介してくれたのは彼だったので、とても嬉しいことです。9月29日の午後、ぜひとも宮坂区民センターにいらしてください。
 7月24日、開設7年目を迎えたせたがやホッと子どもサポート(せたホッと)の活動報告会がありました。こいのち事務局会のメンバーも何人か参加しました。第二部の実践報告でサポート委員の一人である弁護士の平尾さんがされた「いじめ予防授業」がとても印象深く、画期的な試みだと思ったので、ぜひこいのちでもやっていただきたいと、連絡を取ったところ、11月24日(日)夜ならOKと快諾していただきました。詳しくは次の通信でご連絡しますが、どうぞ予定に入れておいてください。こいのちもこのところなかなか積極的でしょう? と自画自賛。動けば、会員も増えます。そしてまた動けます。このところ通信の発送作業にお手伝いに来てくださる方もあり、発送作業が交流の場にもなります。本当にどよーんと停滞しきったように思える世の中。少なくとも自分たちの周辺、自分たちの住むところから、いい空気を取り入れていきたいものです。
 もう一つ報告です。7月29日に梅ヶ丘パークホールで、伊勢真一監督の映画「えんとこの歌」の世田谷での上映会がありました。重度の脳性マヒの障害を持った遠藤滋さんは、梅ヶ丘の光明養護学校で育ち、その後、東京都で初めて、障害者として教員に採用され、母校の光明養護学校で教鞭を取りました。寝たきりになり、24時間の介護体制で暮らす遠藤さんが住むのも、学校の並びのマンション。ゆかりの梅ヶ丘での上映会は、満員の大盛況でした。飯田光代さんが主宰する「優れたドキュメンタリー映画を観る会」は、こどもいのちのネットワークとは切っても切れない縁。介護者たちとの日々が遠藤さんの短歌に織り込まれていきます。相模原の事件があって、どうしても伊勢さんは遠藤さんをもう一度撮りたくなり、この映画ができました。相模原事件の裁判が始まる来年の1月に合わせて下高井戸シネマでも公開される予定です。ぜひ観ていただきたい映画です。(世田谷ボランティア協会の情報誌「セボネ」の9月号に私がレポートしていますのでぜひ読んでね) 
 ついでにもう一つ。9月3日、北沢タウンホールでの渡辺義治さん、横井量子さんご夫妻による舞台「地獄のDECEMBER―哀しみの南京― (南京大虐殺 あれから82年)を観てきました。渡辺さんの父親は大陸で中国人を殺し、日本人を残留孤児として残したまま帰国し、戦後を生きました。また横井さんの父親は兵士の日用雑貨を納める仕事により戦争に加担し、生活は潤います。そんな家族の犯した罪を購おうとお二人はこの芝居に取り組みます。辛い場面がいっぱいですが、ここに目を据えないと先に進めない気がします。私達の親は多くを語らなかったけれど、やはり同じ加害者です。どんなにひどいことをしてきたのか、考えるだけでグサッときます。辺見庸の「イクミナ(1937)」もそういう視点で書かれ、現在を厳しく問います。何よりも、戦争をしかけ、無謀な戦争に「天皇の名」によって国民をかり出した人たちの過去が不問に付され、戦後、何事もなかったように、政治の中枢に居座ることができてきた、というのもこの国の不思議さでしょう。責任を問わず、忘れさせてしまう、という常套手段・・・。広い会場に、観客がとても少なく、残念でした。せっかくの世田谷での公演なのに、宣伝不足で申し訳ない気持ちでした。次にやれる機会があったら、なんとかできると思います。みなさんも、どこかで公演の予定など目にされましたら、ぜひ観に行ってください。メールやHPのツールを全く使わない方々なので、情報をゲットしたら、この通信でお知らせします。】    

「作兵衛さんと日本を掘る」を観ました。23日のトークへのお誘い。

 鳴かず飛ばずのブログで、もう誰も見ることはないだろうな、と思いつつ・・・。日々、いろんな「通信」をつくることが多いので、どうしても「緊急性」が優先となり、自分としては、ブログで発信しているようなつもりにはなっています。そういう通信をブログにアップすればいいのだ、と思いながら、やっていません。
 言い訳はともかく、ブログが一つの「伝える」手段になっているのなら、やっぱり綴ってみよう、と思う映画のことです。熊谷博子監督の「作兵衛さんと日本を掘る」を、ポレポレ東中野に観に行きました。「三池~終わらない炭鉱(やま)の物語」を観て、私たちが子どもの頃、遠いところにあっても、「炭鉱」や「ボタ山」は当たり前のようにあったのに(教室には石炭ストーブがありましたから)、それがいつの間にか消えてしまったことに、さほど深い背景を考えることもなかったなあ、と気が付かされました。熊谷さんの「むかし原発、いま炭鉱」もすぐに買いました。
 熊谷さんから連絡を頂いていたし、今日のトークのお相手は鎌田慧さん、と知って、行かなきゃ、と。炭鉱夫だった作兵衛さんが、60代後半から、「子孫に残さなくては」と一日二枚のペースで書いた2000枚にもなる、炭鉱で働く人たちの生活、労働を描いた絵は、ユネスコの世界記憶遺産に登録されています。「マグナ・カルタ」やベートーベンの自筆楽譜と肩を並べる世界遺産なのです。作兵衛さんの絵を全体のモチーフにした、それらの絵に関わる方々へのインタビューで語られる炭鉱の歴史は、決して過去のものとは思えず、迫ってきます。
 作兵衛さんの絵に描かれる炭鉱で働く女性は、観音様のよう(上野英信さんは、聖母像と言われたそうですが)だし、男はかっこいい。鎌田さんは、「あれはロマンですね。実際は、粉塵で真っ黒ですから」と語っていましたが、私は「美しいなあ」とそのまま見惚れていました。映画の終わりにある作兵衛さんの晩年のことば「けっきょく、変わったのは、ほんの表面だけであって、底のほうは少しもかわらなかったのではないでしょうか。日本の炭鉱はそのまま日本という国の縮図のように思われて、胸がいっぱいになります」は、ズバリ突きつけられたような思いがします。
 日本のエネルギーの大半を賄ってきた炭鉱と、原発が重なります。炭鉱が次々と閉鎖され、経済が立ち行かなくなったところに、原発が誘致されます。常磐炭鉱があった福島に原発が立てられていく、というのが一番わかりやすい例ですが、九州の玄海原発もそうです。原発を電力源とするために、炭鉱をなくしていった、とも言えるでしょう。原発の問題は、炭鉱の問題と深く関わっています。炭鉱も原発も、すべて国策に翻弄されてきたということ。
 前回の東京オリンピックの年である1964年は、上野英信さんが筑豊文庫を作った年であり、作兵衛さんが絵を書き始めた年だそうです。福島は何も問題がない、日本はすべてオッケーとアピールするような2020年のオリンピック。そんなの認めないよ、と事あるごとに言い続けていますが、だからといって何ができるわけでもありません。でも言い続けたい。オリンピックなんかやっている場合か、と。
 熊谷さんと鎌田さんのトークで、「最近、ひどいよねえ」と鎌田さん、つぶやいていました。「どうする?」と。「現代の女鉱夫としては、事実を掘り出して運び、未来にむけて坑道をつくる。みんなが女鉱夫になりましょう。鎌田さんは鉱夫頭を。」という熊谷さんに、鎌田さんも「掘っていくと、トンネルの先に新しい光が見えてくる。それを信じていかないと生きていけない」と語っていました。
 一人ひとりが鉱夫になって、深いところを掘っていかなくては、何も見えなくなってしまうのが今の時代なのかもしれません。
 たくさんのことを考えさせられる映画でした。それにしても作兵衛さんの描く女性の表情に元気づけられます。ぜひ、観てくださいね。ポレポレ東中野で、延長して上映されるということです。

 お知らせ一つ。6月23日、23年前から世田谷で活動している「世田谷こどもいのちのネットワーク」総会の記念イベントとして、「子どもも親も、先生も幸せになる学校・教育とは? 」と題する、トークがあります。登場するのは、「仮説実験授業」の「出前教師」平林浩先生、そして世田谷区長の保坂展人さんです。30年近く平林先生の追っかけ?をし、「日曜科学クラブ」を月に一度世田谷で行ってきていますが(今では、息子、孫娘、共々三世代にわたっての追っかけです)、世田谷で学校を変えていく、と意気込む、区政三期目が始まったばかりの保坂さんと、子どもも親も教師も幸せになれる教育ってなんだろう、というお題で話をしていただこうと思っています。6月23日5時から、世田谷ボランティアセンター(三軒茶屋)で。

「福島は語る」 そして「ふくしまっ子リフレッシュin世田谷」

ブログやってます、なんて恥ずかしくて言えないくらい、まったく書いていませんね。他の通信の類はしょっちゅう書いているので、そちらで代用しているみたいです。切羽詰まった期限のあるもののお知らせをしたい、と思う時、それと伝えずにはいられないものを見聞きした時、あ、書かなきゃと思います。
 絶対観てください、と会う人ごとに言っていた映画「福島は語る」が、渋谷での上映があと2日。私はこの映画を配給したピカフィルムの飯田さんが、観た人が宣伝部隊になれるように世田谷で先行試写会をしてくれたので、もちろんずっと前に観ていたのですが、改めてユーロスペースで2時間50分の完全版をさっき観てきました。なんと画面のきれいなこと! 一人ひとりの証言に思わず身を乗り出します。これは心の奥底から語られる真の「言葉」の映画。言葉になんとちからがあることか。福島の原発の事故により、生活、家族、仕事、夢、景色、人生のすべてを失ってしまった人びとが語るのですが、誰一人、声を大にして「反原発」を言うわけではありません。失ったものを語り、怒りもこみあげますが、でも、福島が大好きな人たちです。双葉出身の小野田さんが阿武隈川の美しさを語る場面に私は感動しました。よくぞここまで彼らから「言葉」を引き出したと、土井敏邦監督と語る人たちの間の人間的な信頼関係を思わずにはいられません。絶対に誰かがこのような言葉を伝えなくてはならなかったのだ、と土井さんに本当にありがとう、と言いたいです。
 ずっとパレスチナの問題を追い続けてきた土井さんは、上映後のトークで「パレスチナの人たちも福島の人たちも人災で故郷を追われている。故郷を追われるとはどういうことなのか」と問いかけます。帰れないはずの故郷を、除染して帰そうとするのは、誰のため、何のためなのか。それは原発保証を早く切りたいという思いがあるからだ、と。「福島でもガザでも、奪われているのは人間の尊厳。人間が人間として生きる権利が失われている。なのに加害者は誰一人として罰せられない」と土井さんは言います。映画の中にも、ありました。「復興というのなら、原発再稼働しないことがまずは復興」。原発の再稼働に躍起になり、福島は終わったとばかりにオリンピックに喜び勇んでひた走るひとたちに、「復興」などという資格はありません。語る人びとの静かな言葉から、観る側には「福島で起こったこと」のなかったことにしようとする人たちへの怒り、憤りがこみあげてきます。決して当事者になれない私達、彼らの語る言葉への「共感」そして、起こったことへの「想像力」で、このことをやっぱり伝えていかなくてはならないなあ、とあらためて思ったのでした。
 私たちが世田谷で2012年から実施している「ふくしまっ子リフレッシュin世田谷」の20回目がまもなく始まります。福島で作られた電気を消費していた私たちが、いわれのない原発の事故で外で遊ぶ自由すら奪われてしまった福島のこどもたちに何が出来るだろうか、と世田谷のさまざまなグループがネットワークを組んで始めたプロジェクトでした。はじめの頃は春、夏、冬と長期のお休みに行ってきましたが、二年前から春と冬の二回に、と縮小しました。福島のことも次第に忘れられ、いや、忘れさせられていき、カンパの集まりも少なくなってきました。スタッフの人数も減ってきました。なるべく長く続けたいとのちからを温存させることにしました。ほんのささやかな活動ですが、福島で起こったことは決して忘れない、忘れさせない、という私たちの抗いの気持ちも込めて、続けています。原発や放射能の話を福島ではもはやできなくなってしまっている親たちの声を、世田谷で聴く機会ともなっています。
 
まだ、「福島は語る」、観ていらっしゃらない方は、21日、22日の10時半から、ユーロスペースにぜひ行ってください。監督のトークもあります(これがいいのです)。
 ふくしまっ子リフレッシュin世田谷は、26日から31日。カンパもよろしくお願いします。(HPを見てください)

今年も「神戸をわすれない」

 二ヶ月以上、鳴かず飛ばずでした。伝えたいことは山程ありますが、私もいろいろな「通信」を追われるように作り、そちらを優先してしまうので、ブログはまったく手付かず。通信をそのまま載せるというテもあるねえ、と今さらながら思っています。
 そうこうしているうちに、年が明けて半月が過ぎました。今日は1月17日。1.17の午前5時46分は、いつまでも刻み込まれています。あれから24年。来年は四半世紀。毎年1月は私にとっては「神戸」の月。長田区の野田北部・鷹取地区で95年からずっとまちと人びとの復興の様子を、映像に記録(記憶)し続けてきた、青池憲司さん&青池組に、私も伴走しながら、世田谷で上映会を続けてきました。96年が第一回だったから、もう23年になります。当初は、撮影・編集が終わり、作品が完成する度に、世田谷で追っかけ上映会をしてきたので、年に2~3回のこともありました。このところは年に一回なので、今回は32回目。われながら、よく続けたなあ、と思います。「やめる理由がない」というのが、続けてきたことの言い訳です。その後も3.11があり、日本のどこでも地震が起こり、首都圏直下型地震の可能性は30年以内に80%、という恐ろしい数値。この国に暮らすなら、災害は覚悟の上でなくてはなりません。
 今回の「神戸をわすれない」は、「神戸に学び、都市型災害に備えるために」としました。神戸の経験に学ぶことはまだまだたくさんあります。神戸は私にとっては、多くの友人が暮らす場であり、彼らがあの日からたどってきた再生への道筋を、もちろん私はたどるすべもないけれど、できるだけ近くに感じていたいと思ってきました。非被災地にいる私たちは何もできないけれど、想像を働かせ、思いをともにすることくらいはできるのではないか。神戸の人たちの復興への歩みを、世田谷で映像を通じて少しでも共にできたら、というのが、上映会の開催であり、神戸での経験を話してもらう機会でした。31回、本当にどの回をとっても、私にとっては宝のような、生の、当事者だから語れる素晴らしい話でした。まだ、あの人の話を聞きたい、来てほしい、と思うから続けられている会なのかなあ、と思います。
 直前になってしまいましたが、1月19日の第32回めの「神戸をわすれない」の案内をさせていただきます。まだまだ、たくさんお伝えしたいことはありますが、とりあえず差し迫ったイベントから。

第32回 神戸をわすれない

 「神戸」に学び「都市型災害」に備えるために
 とき:2019年1月19日  午後7時~9時半(開場 6時半)
 ところ:世田谷産業プラザ (東急田園都市線・世田谷線 三軒茶屋下車3分
 プログラム 野田北部・鷹取の人びと  第9部 上映
         トーク  青池憲司監督、河合節二さん、高木史雄さん、保坂展人さ
  主催   神戸をわすれない・せたがや           
(星野弥生〔℡&fax 3427-8447 marzoh@gmail.com〕)

後援   世田谷ボランティア協会・せたがや災害ボランティアセンター
     世田谷区、世田谷区社会福祉協議会
協力   世田谷こどもいのちのネットワーク、市民運動いち 
参加費 500円(資料代)

1995年1月17日の阪神大震災から24年が経ちます。大都市に住む私たちにとって、神戸の被災の体験は、来るべき首都圏の大災害にどう備えるか、そして被災後の地域の復興がどうなされるべきかについての大きな学びとしてあります。神戸長田区の野田北部・鷹取地区にフォーカスし、記録=記憶ビデオを取り続けてきた青池憲司監督&青池組に伴走しながら、96年からずっと世田谷で記録映像を上映し、地域でのまちづくり・人の関係づくりに神戸の経験を活かそうと、これまで31回の「神戸をわすれない」会を催してきました。青池組は、3.11以後、石巻の門脇地区で、やはりコミュニティの再生の歩みを取り続け、「神戸をわすれない」でも、映画の完成を待って上映の時を持ってきました。2018年の会で上映した「まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語」は、東京でのお披露目の会となりました。まだ見ぬまちの向こうには、野田北部のまちづくりが見える気がしています。
2020年は、阪神から25年目の年。被災地、被災した人びとを置き去りにしてひたすらオリンピック、と世の中が浮かれるのなら、私たちは、今一度阪神で問われたこと、そしてそこから学んだことを問い直す機会にしたいと思います。東京に住む私たちには、同じ「都市」で起こった神戸から学ぶことがたくさんあります。そんな思いから、32回目の「神戸をわすれない」では、久々に「記憶のための連作」の第9部を鑑賞し、「都市型災害」に備える世田谷での防災、まちづくりを考えていきたいと思います。9部に描かれる1996年11月の「世界鷹取祭」には、スペインにある子どもたちの共同体「ベンポスタこども共和国」のサーカス団の若者たちが15人やってきて、大国公園で人間ピラミッドを披露し、被災した人たちを力づけました。
トークには、野田北部まちづくり協議会のかつての若手、今は代表となっている河合節二さんが神戸から馳せ参じてくださいます。「世田谷」の話をしてくれるのは、世田谷の若林地区の町会で防災部長を務める高木史雄さん。若林では河合節二さんを世田谷に何度かよんで、神戸に「学んで」きました。「神戸をわすれない」の常連でもある保坂展人世田谷区長にも加わっていただき、世田谷が今神戸に学ぶこと、を共有できたら、と思っています。
この会ではグージーまんじゅうでおなじみの長田神社前商店街のきねやさん。グージー生みの親のご主人が夏に急逝されました。地震で店も地域も立ち行かない中、ずっと頑張ってこられました。無念です。「ありがとう」とともに、心から冥福を祈る機会ともしたいと思います。
プロフィール

marzoh

Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

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