神戸をわすれない   明日(28日)です。

これが終わらないと、1月は終わらない、という習い性になってしまったような「神戸をわすれない」、明日(1月28日)です。私にとってこの16年は年中行事と化しています。「なんで神戸?」「まだ、神戸?」と自問しつつ、でも続けてきてよかった、としみじみ思います。まさかの3.11が起こったし、首都圏直下型地震は30年間に70%の確率で起こりそうです。忘れている暇はないのです。
石巻の門脇小学校の子どもたちを描いた「私はここにいます〜石巻・門脇小学校・夏」。7月に完成予定の本篇の予告編を上映します。そして石巻で画期的なボランティア活動を組織してきたピースボートの災害支援チームの隊長ともいうべき山本隆さん(ジュニアとよんでます)のお話。おととい、高田馬場のピースボート・センターに赴いて、そこにいた若いボランティアの人たちに「神戸」の話をしてきました。なんで神戸なの?と自問しながら話していると、やっぱり私がいつも考えていること、思い、につながります。自分が体験していない、大きな重大なできごとにどうかかわっていけるのか、ということ。支援や連帯の基本的なあり方です。私は「共感と想像力」こそが、と思っているのですが。
これまで24回開いてきたたいていの会に参加してくれていた保坂展人さん、区長の1月は分刻みの忙しさですが、1時間は出られるから、といってくれました。
今年はだれに会えるか、楽しみです。長田神社前商店街のきねやさんの「ぐーじーまんじゅう」も待っています。1時半から、下北沢のらぷらす(タウンホール11階)です。
そして、あさっては、「1000万人アクション世田谷」の仲間たちと取り組んできた、ドキュメンタリー映画「夏休みの宿題は終わらない」〜英・仏核燃料施設周辺に生きる人々〜の上映会+伴英幸さんの講演。経堂の生活クラブ館にて。午前の部は10時〜 午後の部は13時半〜 。二日にわたる大きな地域のイベントです。たくさん来てくれます

神戸をわすれない  そして、村田栄一さん

1月17日は、阪神大震災を思い起こす日。この日の朝日新聞の都内版に、「神戸をわすれない」が大きく取り上げられ、私の顔写真まで載ったものだから、その日はメールやら、電話やらで「見ました!」のうれしい反応がありました。16年間、「神戸をわすれない」会を世田谷で積み重ねてきましたが、いつも「広報」に苦労してきました。でも、今回とてもうれしかったのは、朝日の若い記者からメールで「取材のお願い」をされたこと。訪ねてきてくれた彼は、淡路島出身で地震の時は小学一年生! 大学時代を神戸で過ごした、ということでした。そんな個人的な背景をもった記者が、「神戸」のことにずっとこだわってきた私を発掘してくれたのがなによりうれしいことでした。東日本大震災の、あまりの規模の大きさに立ちすくみ、それに比べたら神戸は・・・などとは決していいたくありません。被災者一人ひとりは、ずっと辛さ、苦しさを抱えています。それはどこで、何が起こっても同じ。東京に暮らす私は、しょせん「非被災者」に過ぎず、到底埋めることはできないギャップに呆然としながら、それでもほんの少しだけ気持ちをそちらに向けていこう、それは神戸も東日本も同じです。そんな、言葉に表しにくい気持ちを、神戸と接してきた若い記者に書いてもらえました。19日には、むさしの版にも載ったようで(写真が一枚少なかったけれど)、それを見た友人も、いい記事だった、と言ってくれました。朝日新聞を敬遠して、東京新聞に切り替えた、という人たちが多いので、私の周りでは「へえ、そうだったの。知らなかった」という声しきりです。記者を励ましながら、応援していくのも、わたしたちのメディアに対して取るべき姿勢ですよね。あ、28日1時半〜 下北沢のらぷらす(北沢タウンホール11F)、来てくださいね。

 またまた、大切な友人を亡くしました。村田栄一さん。今、こう書いていても、信じられません。今回上映する青池組の映画「わたしはここにいます。石巻・門脇小学校・夏」の東京でのお披露目会があった10月に、久々に会いました。ベンポスタのシルバ神父が亡くなったことを伝えました。びっくりしていました。村田さんは、ベンポスタ子ども共和国の初代駐日大使。ベンポスタを、本、映画、さまざまなメディアで紹介した、一番の立役者です。ドキュメンタリー映画「ベンポスタ子ども共和国」では、お目付け役の「監修」でした。だから、映画を一緒に苦労して作った「同志」でもあるのです。93年に、市民グル―プがベンポスタの「ロス・ムチャーチョス」サーカスを呼んだ時、妥協を知らない村田さんは、シルバ神父と意見の食い違いで争い、「大使は首だ!」とシルバ。村田さんは「願ってもない」と大使職を返上。そのあとに、大使に就任したのが、私、ということだったのです。貧乏くじのようなものですが、私がベンポスタにずっと入れ込むことになったのは、ひょっとして村田さんのせいだったのかもしれません。
年賀状に、今年のリーデフ(フレネ教育の世界大会)はスペインのレオンです、と書いてあって、いいなあ、行きたいなあ、とうらやましい気持ちでいたのでした。9月に亡くなったシルバ神父がよんだのでしょうか。村田さん、待って! まだいっぱい伝えてもらうことがあるでしょう・・・そんなに急に行ってしまわないでよ、と制止したい気持ちです。25日がお別れの日。なんだかすごく切ないです・・・

14、15は脱原発世界会議 そして、15,16はボロ市

14,15日、横浜のパシフィコで開かれる「脱原発世界会議」、行ってきました! 開会式から最後のトーク・ライブまで、ほぼ9時間、会場内を行ったり来たりしながら、そのたびに、知っている顔にあいさつし、久々の友人たちとの出会いをよろこび・・・と学びながら、楽しい時をすごしてきました。
ピースボートならではの企画、ふだんから世界中の様々な国で社会、政治、文化、環境・・・いろいろな分野で交流を培っているピースボートだからこんなに豊かな「世界会議」が可能だったのだ、とあらためて思います。海外からのゲストが100人! 原発の問題は、日本だけでなく、グローバルな課題だ、ということを今一度気づかされます。
開会イベントで話をした、欧州議会議員のレベッカさん。3.11がきっかけで、ドイツ南部で緑の党が大きく力を伸ばし、保守であるにもかかわらず、政府が原発を止めることを決めました。ドイツだけでなく、スイスも、イタリアも。フクシマの事故があったから、ヨーロッパは、もちろん25年前にチェルノブイリの事故の影響をものすごく受けていた、という経験あってのことですが、どの国も原子力政策を見直しました。あらためて思います。日本の政府が脱原発を宣言しない、ってものすごく「みっともないことだ」と。遠い国々が福島に学んで政策を変えようとしているのに、まだ、「再稼働」だ、「原発輸出だ」と言っている日本・・・どうみられているかは明らかです。レベッカさんが、ドイツの経験から、いっぱい学んでください、と言っていましたが、3.11で、どこの国もしっかり学んだのです。もっとも学んでいなかったのが、わが日本・・・とつくづく恥ずかしくなります。
でも、私たち、ふつうの市民たちはたくさん、たくさん学び、自分たちの生活、価値観、生き方を変えざるをえないようなインパクトを受けてきた、だからこそのこの世界会議の熱気、盛り上がりだったと思います。これは日本を変える大きなうねりのはずです。きっとメディアはそういう報道はしないのだろうけれど。
8時からの最後のプログラム「トーク・ライブ」で、中沢新一さんが、たいへん重要な発言をしました。バーチャルな世界では、日本人の8割が脱原発。バーチャルをリアルにするためのツールとして、「政治を変える」。そのために「緑の日本」をつくる。将来の「緑の党」に向けた緩やかな「グリーン・アクティブ」というネットワークを作っていく、と。今の政治を見ていれば、政治はおもしろくない、どうでもいいもの、とうつるけれど、本来はこれを「面白くして」いけばいい。今、ふつふつとわき起こっている若者たちのデモだって、ここに結びついたら大きな力になるでしょう。
檀上のゲストも賛同していました。Sugizoさんは、自分が音楽を作って、加藤登紀子さんが歌って、手塚眞さんが映画にして、ピーターバラカンさんがそれをメディアで紹介して・・・なんて言ってました。いいですねえ。
あまりにたくさんのすてきな企画があって、とても回りきれない、明日もぜひ、といいたいところですが、15,16日は世田谷のボロ市。また、わが家はチャイルドラインのチャリティ・フリマと化します。残念ですが、年に4日だけのお祭りを通してのいろいろな人とのつながりもまた捨てがたいので、横浜はバス。どうぞ、ボロ市にもおいでませ。

ひとりひとりが科学者の目をもつことー木村真三さんのお話をきいて

地デジのテレビがやっと導入されたとしても、まったく見ていません。我が家は完全なラジオ派。午前中、家にいるときはNHK第一のラジオ・ビタミン(ラジビタ)が、何をしていてもそばでお供をしています。アナウンサーの村上信夫さんのファンです。一年前にラジオを通じて「神戸をわすれない」のお知らせをしてくださり、すっかり「お友達」のつもりになっています。
今日(12日)、原稿書きながら聞いていると、ゲストに木村真三さん。テレビをみないので、ETVで評判だったという「ネットワークでたどる福島放射能汚染地図」も観ていませんが、世田谷での「こどもいのちのネットワーク」の仲間が「木村さんとか、よんで話をききたいよなあ」と言っていたので、お名前は知っていました。あ、この人、と耳をそばだててきいていました。彼が話していたことで、「わからない、というのは考えていないこと。一人ひとりが科学者の眼をもつこと(これは故高木仁三郎さんの言葉ですが)。みんなが市民科学者になる」というのが印象的でした。学舎の自己満足では社会貢献にはならない、というのも。私が20年以上続けてきている(私は、世話人をやっているだけですが)、仮設実験授業を中心とした「日曜科学クラブ」の姿勢ともつながるなあ、と納得していました。わからないながら、一生懸命考える。考えたことは、自信がなくても、みっともないと思っても言ってみる。そういうことが許される場だからこそ、安心して学んでいける、それが仮設実験授業のあり方です。そうやって続けてくると、小さいこどもたちも、「科学者」にみえます、いや、見えるのでなく本当に「科学者」なのです。だって、自分で考えるということをちゃんとしているのだから。国や東電や原子力安全委員会がいい加減なおかげで、市民科学者が増えてきています。いっそのこと、市民科学者に、専門家が居座っていた場所を空けてほしい、と思います。
ちなみに、平林浩先生による日曜科学クラブでは、「放射能と放射線」「原子炉の中で起こっていること。ウラニウムのこと」「地球の中で何が起こっているか」というような、今最も知りたいテーマを取り上げています。科学音痴の私が、うーん、なるほど、と引き付けられながら、楽しく学べています。ちゃんと理解することで、、ちゃんと怖がる―それが放射能汚染に関しても求められていることなんですよね。

牟田悌三さんの命日に

1月8日。今日は牟田悌三さんの命日です。4年前の今日、何も告げてくれずに、突然あの世にさっさと行ってしまいました。世田谷こどもいのちのネットワークも、牟田さんが中教審の専門委員になって、子どもたちのおかれている現場からの声をヒアリングしたい、ということに端を発したのでした。地域の中で、PTA活動、障害者との共生、いろいろな活動を経て、世田谷ボランティア協会の理事長になり、テレビでのけんちゃんのお父さん同様、私たちにとっても本当に「おとうさん」(というには、年がくっつきすぎていますが)のような存在でした。「こども」問題にずっと取り組んでくると、やっぱり「大人の往き方が問われている」ということになって、じゃあ、何が地域で私たちにできるのか、と問うた時に、こどもからの電話を受けるチャイルドライン構想がでてきたのでした。そのアイディアを出したのが、ネットワークの事務局長だった保坂展人さん。その時はすでに衆議院議員でした。党派を問わず、先頭に立って保坂さんをずっと応援してくれた牟田さん。さまざまなボランティア活動をしながらも、これからの世界を担う「子どもたち」のためにと、チャイルドラインは最後まで牟田さんがかかわった活動でした。牟田さんとともに世田谷の中でともに動いてきた私たちにとって、今日はやっぱり特別な日。牟田さんの大好きだった、シーバース・リーガルを携えて、多磨霊園に向かいました。今日は保坂さんも一緒に。「牟田さーん、のぶとさんが区長になったんだよ。牟田さんが一番喜んでくれるはずだよね。ほんと、よかったねえー。」と墓前に報告しました。ウィスキーをちょっと墓石に垂らし、あとはみんなで献杯!久しぶりに牟田さんが一緒の輪の中にいるような気がします。大きな存在でした。ベンポスタのシルバ神父同様に、私にとっては、いつもそのあたりを飛んでいて、何気なく見守ってくれているようです。
プロフィール

Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

最新記事
Amazon商品一覧
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ