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「私も上原公子」集会へのお誘い。ついでに「この世界の片隅で」

 元国立市長の上原公子さんは、国立市民の景観保護の民意を後ろ盾に、それを公約にして当選し、市民とともに何よりも景観を大切にしよう、と闘ってきました。高層マンション建設を巡り、住民の反対運動が起こった時に、それを尊重するのは当然。なのに、市長が住民を煽動して建設を妨害したのだから、その損害賠償金を払え、とあろうことか市が訴える、というのは、どう考えてもわけのわからない裁判です。上原さんが被告になっている裁判を、私もずっと傍聴を続け、この理不尽さを伝えるべく集会を企画したり、ブログに書いたりしてきました。地裁では、上原さんの行為は民意を反映したもの、と勝訴でしたが、高裁では逆転判決。昨年末の最高裁判決は、上告却下で、上原さんに利子を含めた4500万円を払え、というものでした。金利がマイナス、という時世に、賠償金の類にはじゃぶじゃぶと利子がつくのです。まったくわけがわかりません。
 こんなことがまかり通ったら、自治体の首長たるもの、なにも思い切ったことができません。公約を守ることすらできない。ただの言うなりの行政マンになるしかないのでしょうか。これは、本来そうであるべき住民主体の地方自治に対する攻撃であり、私たち一人一人の意志をないがしろにするものです。4500万円を払え、と突きつけられたのは、上原公子さんではなく、住民自治を実現したいと願う私たち一人ひとりでもあります。最高裁の決定なので、4500万円は支払わないわけにはいきません。ならば、民のちからを見せつけようと、全国の「私も上原公子」と同じ思いでいる人たちからのカンパが続々と集まっています。目標額まで、もう少し、というところ。そこで、世田谷でも、この世にも奇妙な裁判について知っていただき、「私も上原公子」と多くの方に名乗っていただきたく、集りをもつことにしました。地方自治についての大問題と、世田谷区長の保坂展人さんとともにトークをしてもらう予定です。ぜひぜひご参集ください。
 7月12日(水) 18時半~21時  経堂すずらん会館地下大会議室にて。
詳細は以下です。
 
http://www.hosaka.gr.jp/files/uploads/event_uehara_setagaya.pdf

また、申込みは以下でも出来ます。
http://www.kokuchpro.com/evento/uehara_setagaya/

世の中理不尽で、許せないことばかりですが、まずは上原さんの「許せない!」一件を共有していきたいと思います。


ずっと懸案でしたが観る機会のなかった「この世界の片隅で」、金曜日まで下高井戸シネマで上映しているので、ようやく観に行きました。満席!補助椅子で見ました。
評判に違わず、とてもいい映画でした。ディテールが、まるでその時代にそのままシフトするような現実感があり、すっと感情、気持ちが入っていけます。ごくふつうに暮らす人たちが、迫り来る戦争という非常な状況の中で、当たり前に生活を守りながら、それでも非常事態により,暮らしは脅かされ、家族や周りの人たちの生命が奪われ、傷つけられていく・・・。そんなあの時代にどこの地方、どこの家でも、間違いなくそういう光景はあったのだろう、と思い至ります。私の親たちだってそうだったでしょう。そんなに遠い時代ではなく、私が生まれた2,3年前の話。
そして、今この国に、まさにこのような状況が再現されそうな事態が次々と起こっている、ということに改めて気づき、呆然とする思いです。共謀罪が施行されたら、どんな世の中になるのだろう。映画に描かれていた「とんとんとんからりと隣組」、良からぬ人たちがいないか、と互いに監視し合う世の中が再び訪れるのでしょうか。共謀罪の、審議にもならない論議の中で、なにかというと「一般人は関係ありません」と首相以下わけのわからない答弁をしていましたが、なにをもって一般人というのでしょう。政府のやり方に反対の意を表したら、即一般人ではなくなるのは明らか。「この世界の片隅で」ふつうに暮らしていた人たちが、いかにふつうに生きられなくされていったのかをしっかり受け止めたいと思うと同時に、ふつうに生きることの大切さを噛み締めたいとも切に思う、そんな映画でした。

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あこがれの祝島に行く。 ヒジキとビワと・・・

岩国にいってきました。岩国のチャイルドラインの仲間たちが企画してくれた研修ツアー。「星野弥生さんと祝島に行く」。こんなにステキな研修、あり?
 昨年岩国に初めて行った時に、そうだ、岩国といえば、米軍再編に対して市民と共にたたかった井原勝介元市長、西山正啓監督の「消えた鎮守の森」・・・、私も縁があったんだなあ、と思い起こし、今度はそういうところを訪ねてみたいなあと心に抱いていました。そしてフェリーで松山に行くために柳井港に向かった時に、「祝島行」の表示を見て、そうか、ここから行けるんだ、と知り、行きたい!とつぶやいたことが実現してしまいました。纐纈あや監督の「祝(ほおり)の島」で、上関原発に反対する島の住民の闘い、くらしを観て、このおばあちゃんたちに会いに行きたいと心にあたためていたのです。
 岩国からは室津港まで車で1時間ちょっと。室津に集まったメンバーは15人。「天ぷら」をまず買います。朝から天ぷら? いえ、こっちで天ぷらというのは練り物のこと。じゃこのてんぷらを手に乗船。そうそう明治の初めに造られた四階建ての「四階楼」を見学しました。10時に開くのですが、船の出発が10時なので、時間前に特別の計らいで見せていただきました。狭い敷地に4階建てとは今風のコンパクト。上に行くほど造りが凝ったものになっていて、最上階は4面がステンドグラスのすてきなサロン。旅館として使われていたこともあるそう。
 フェリーに乗り込み、デッキに。長島に沿って進むと、島の中腹に立派な道が作られているのが見えます。あれが原発への道なんだ! お金はまずインフラ作りにじゃぶじゃぶと浪費されるというのは八ッ場ダムで見てきた光景にダブります。その道の果てのかくれたところに上関原発の予定地があり(よく探したものです)、船からは見えないのですが、まさに祝島の真正面に位置しています。
 祝島に到着。東京から7年前に移住した若い児玉誠さんが出迎えてくれました。まず船着き場近くのコーヒー屋さんへ。ここも東京から移住してきた方のお店。古いおうちがカフェになっていて、有機の豆を焙煎したコーヒーがおいしい!居心地満点で、島を離れるまでずっとお世話になりました。
箱いっぱいの島の名産、ビワが届き、夢中で食べます。ビワの葉の効果はよく知られているけれど、種がガンのとてもよく効くのだそう。このまま食べたり、焼酎につけたり。
 児玉さんは島でひじきを作っています。島のまわりに無尽蔵に広がるひじきを2月ごろから採り、すぐに薪と鉄鍋で炊き、天日で干します。聞いただけで、おいしそう。2歳になる娘のなずなちゃんがずっとそばにくっついています。まずは島の散策。坂をあがると学校。6年前に三人のこどもたちが卒業したあとは、学童はいなくて休業状態。今島にいる三人のこどもが一年生になるときに再開、となりますが、その人数に対応するために校長や先生たちに来てもらうのは経済的に合わないので、上関の学校に船で通ってほしい、というのが市の本音のようです。でも、「教育をうける権利」ですもの、なんとしてでも地元の学校を活かしてほしいもの。
 島にある八幡さまに行きました。「わあ、草がぼうぼうだ!」と児玉さん。久しぶりに人間が訪れたので、エサがきたぞとばかり蚊が襲いかかってきます。小さい子たちがまず狙われます。タイガーバームをもっていってよかった!児玉さんによると、神社の宮司さんが原発賛成を表明してから、賛成派も反対派も神社に行くことがなくなったと。それとこれとはちがいますよね、と私たちは少しおそうじをし、参道の草を抜きました。原発をめぐり、住民が分断されるのはどこでも同じ。それが推進する側の狙いです。でも、島は反対の人がほとんどで、4年に一度の神舞も反対の人たちが行っているそうです。島の船大工による木の船も見せてもらいました。
 お年寄りが島ではバイクで走っています。行き交うたびに児玉さんはあいさつ。人口400人の島ですから、みんな知り合いなのです。そういえば、どこかで見たなあ、という気がするおばあちゃんはきっと映画に出ていたのですね。おばあちゃんのバイクにそびえ立っている棒は、なんとハブよけ、なんですって。
 お昼はカフェでこの季節にしかない、というベジタブル・カレー。何を使っているのかな、と楽しみでした。なんと、ビワ!玉ねぎとビワをていねいに炒めて、ひよこ豆、じゃがいもやニンジンとともにターメリックで味付け。サフランライスとよく合う。傍らには児玉さんのひじきとキュウリなどの野菜のサラダ。おいしい!
 食後は歩いて児玉さんの作業場へ。レンガや石、土でつくった窯の上に鉄の大鍋が。鉄で炊くからひじきは鉄分が多い、ということなのでひじき自身に鉄分があるわけではないのです。最近はステンレス鍋で焚き、鉄分がとても少なくなっているそうです。絶対に児玉さん作のひじきを買っていかなくては、とみんなが注文。たくさんの注文に追われ、袋詰めの作業を手伝うのはお連れ合い。私たちはトラックの荷台に乗せてもらってブタさんの放牧(?)場へ。荒地になっているところブタを放しておき、土を耕してもらうのが狙いだそう。私たちは海辺に出て、きれいに洗われた丸い石を拾ったり、足を水につけたりすっかり童心にかえってのんびり。
 帰り道、家の門柱の上にビワの種が干してあるのを見ていたら、おばあちゃんが出てきて、「うちのビワ畑のビワを採ってほしかった、15分で行けるよ。」と。ああ、時間がなくなっちゃった、残念!すると家の中に入った彼女がビワをたくさんもってきて「これはブタにあげようと思っていたから、もっていきなさい」。ではブタになりましょう、と袋にたくさん詰めました。次はぜったいにビワもぎにこよう。
 船は5時5分発。児玉さんとは船が離れるまで手を振り合って、再会を約束。毎年、祝島行を研修プログラムにいれよう、次回はぜひ島に泊まって、新鮮な魚を食べ、島の人たちと飲む、っていうのがいいね、などと盛り上がりました。デッキからは、スナメリの姿も。すっかり気に入り、絶対に戻ってくるよ、と祝島に約束し、原発建設をなんとしても止めたい、との思いをますます強くしました。
 

映画「いのちのかたち」の感動を伝えたい

 映画を観て感動することはしょっちゅうですが、今日の「いのちのかたち」は半端ではなかったです。下高井戸シネマにはいつも自転車で行くので、暑い日に汗を拭くかもと思って持参したタオルハンカチでしたが、途中から泣きっぱなしだったので役に立ちました。どの作品も好きな伊勢真一さんの演出作。
 画家で絵本作家のいせひでこさんが、宮城県亘理市の海岸に立つ、津波で根こそぎ倒れた一本のクロマツの木に「呼び止められるように」誘われ、スケッチをはじめます。クロマツは見るたびに異なる姿でひでこさんの前に現れ、スケッチは4年続きます。クロマツは語りかけてくるようです。それが観る私たちにも伝わります。とても恐ろしい力で倒されたこと、人もものも建物もすべてが押し流されたこと。クロマツはそれを語るためにそこに残っているかのようです。一方で、安曇野のアカマツの林を描くひでこさん。「一本一本みんな違って、同じ木はないのよね。」といとおしそうにそっと色をつけます。命を閉じようとしているクロマツと、スクッと立っているアカマツが共に描かれている絵は、なんだか「うん、大丈夫だよね。この木たちがいるんだから」という気持ちになります。「木はいのちのかたち」、庭の草や花一つ一つの中に、たしかないのちを見ているひでこさん。亘理から連れてきた木が花を咲かせ、「わあ、咲いている。一つの花が咲くことで本当に幸せになれるんだね。」とうれしそう。それって、すごくわかる。蒔いた野菜のタネが芽を出すのを見るだけで、本当にうれしいですから。そこここに「いのち」が芽吹き、育ち、大きくなる。それを「いいなあ」とあらためて感じられました。ひでこさんが、躍動するように描く、小さな子どもたち、そして原初のエネルギーに満ちた赤ん坊。その子どもたちが、木の中にそっと隠されている絵がすごくいい。子どもが大いなるもの、聖なるものに守られているなあ、という感じが伝わるのです。
 クロマツがいよいよブルドーザーという人工の力によって片付けられようとする日。ひでこさんはその場を見届けようと歩みをすすめます。私はもう大泣きしそう。ひでこさんは、どんな思いだろうか・・・。でも、その凛々しい姿をしっかりスケッチします。思わず、「クロマツさん、ありがとう!」と言いたい気持ちになりました。
 あらためて、映像のちからを思います。辛さ、悲しさ、切なさで満ちた被災地なのだけれど、星空は吸い込まれるように美しく、津波の去った海は静かで、地には新たな植物が根付く・・・。そして絵のちから、そう、言葉のちからもすごい。ひでこさんが絵をつけた長田弘さんのひとことひとことが心の奥底に響きます。そしてひでこさんが奏でるチェロの響き、1000人が演奏する復興支援のチェロ・コンサート・・・。心をさんざん揺すぶられた日でした。
 目を転じれば、「共謀罪」なる個人の生活・暮らし・生き方をズカズカと侵食する法案が無理やりに通されようとし、ミサイル発射に対して、「対話はいらない、圧力だ」と二人の仲良しが息巻く、という尋常ではない事態。どうしたらいいのか心が騒ぐ時に、クロマツがなんか教えてくれそうな・・・。エネルギーをもらった気がしています。
 下高井戸シネマはあと2日。木曜と金曜が10時から。「行けたらぜひ行ってね」と友達に言いたくなった日でした。

「弾道ミサイル発射時の学校対応」なるチラシをめぐり

4月28日に、世田谷の区立小中学校、幼稚園の保護者に向け「弾道ミサイル発射時の学校対応について」と題するお知らせが配布されました。受け取った保護者の間に動揺、不安が走り、それを知った区民の中には疑問と怒りがうずまきました。「窓から離れること」「物陰に隠れて頭部を守ること」などの指示が書かれています。北朝鮮のミサイル発射で地下鉄を止めたことといい、脅威をいたずらに煽る感が否めません。政府、そして東京都教育委員会の通達を、詳しい説明もなくそのまま教育委員会が学校を通じて区民に流す、というのはあまりにも無自覚で無責任なことです。東京の地下鉄が10分間止まったことといい、いたずらに脅威を煽っているとしか思えません。
 それに学校現場が加担するなんて・・・、と、世田谷で20年、子どもと「いのち」の問題を気にかけ続けている「世田谷こどもいのちのネットワーク」では、ここにいたるまでの経過について説明を求めるため、教育長宛に要望書を提出し、会見を求めました。学校に子どもを通わせている親たちだけに関わることではなく、いまの日本の社会全体に大きく関わる問題だからです。そもそも北朝鮮によるミサイル発射は、その度に電車を止めたりしなくてはならないものなのか。発射が予測される中、安倍首相をはじめ、ほとんどの大臣がゴールデンウィークに外遊していた、ということからも、それほど「本気」に考えていないことが見てとれます。ミサイルは発射後10分でどこかに落ちる、というのだから、ニュースを聞いてから、行動したって意味ないわけです。本気でミサイル発射を恐れるなら、なぜ電車の前に原発を止めないのか、と。あれこれ考えると、教育委員会の取ったすばやい措置の意図は何だったのだろうか、と首を傾げざるを得ません。それも、23区中、こんな行動を取ったのは世田谷だけ、というのもハズカシイ・・・。
 共謀罪が法務委員会を文字通りの「強行採決」で通ったようです。〈認めたくないです)北朝鮮が攻めてくるぞ、と煽り、子どもにも「国を守ること」の必要性を教え、戦争をできる国にするために憲法を改正すべきだという方向がすぐ先に見えるようです。スペインの新聞は、「敵の攻撃に対して東京が指示を出すのは1945年以降初めて」と驚き、「ミサイルが発射されたら防御のための時間は10分もない」と冷笑気味に報じています。
 そう遠くない昔、教育勅語を唱えさせられ、御真影に礼をする、ということを通じて子どもたちが「天皇を敬い」「国を愛する」という考え方を植え付けられてきました。いま、同じようなことが繰り返されているような気がしてなりません。そういえば、阪神大震災以降、私たちには馴染みになってきた「ボランティア」という言葉が、学校で、「勤労奉仕」と置き換えられている、ときいて、唖然としました。音も立てずにひたひたと忍び寄る空気。耳を澄ませて、キャッチしていかなくてはなりませんね。
 21日(今日ですね)、世田谷区内に配布された「弾道ミサイル対応」チラシを巡り、幅広く市民に呼びかける会を、18時から世田谷ボランティアセンター(三軒茶屋)で行ないます。関心ある方、ぜひ集ってください。

「19人・・それぞれのいのち」が私たちに問いかけるもの 「やまゆり園」事件を考える学習会が22日にあります。

長いこと楽しませてくれた今年の桜も、ようやく葉を見せるようになりました。3月22日から一週間、娘の結婚式をするために家族がスペインを旅してきました。出発前日に開花宣言。日本もスペインも同じように寒かったり、雨だったりの日々、桜は十分にもってくれ、福島のこどもたちと砧公園でお花見をした時には、まだ三分咲きでした。桜のせいではないですけれど、私のブログも随分長いことご無沙汰です。
 「世田谷こどもいのちのネットワーク」で懸案だった学習会が4月22日にあります。ずっとのどに引っかかっていた骨のように、いつかは、それもなるべく早い時期に取り上げたいと思っていた「相模原事件」。この事件が起きた7月26日、私はこのニュースをスペインで知りました。スペインでは朝のうちはずっとニュースが続けて流されるので、日本、19人、障がい者・・・などという言葉を何度も聞かされ、本当? 聞き間違いでは、と思いましたが、そうではなかったことを思い知らされました。
 この事件をいったいどう考えたらいいのか・・・。答えに窮します。「障がい者の人権が大切」などというだけでは済まされません。そんな時、10月に岩波ブックレットから保坂展人さんの「相模原事件とヘイトクライム」が出版されました。この本を読んだ多くの友人たちから、「ぜひ、世田谷で保坂さんをよんで講演会をしてほしい」との声が聞かれました。誰もが、考える手がかりを模索しているようでした。
 「障害を持った人を抹殺する」ことは、アウシュビッツに遡って「T4作戦」としてドイツで現実化されていたことが書かれています。帯には「奪ってもいい命など存在しないーー優生思想の罠に囚われないために、今私たちがなすべきこと」と。障害を持ったひとが社会の役に立たず、お金の無駄使いなのだから、抹殺していいのだ、という考えは極端なように見えるけれど、「社会の役にたたない」「経済活動に貢献しない」「税金の無駄遣いになっている」人たちを排除するとしたら、まず、私たちだって老いていけば必ず対象になります。だれもが「抹殺」の対象になってしまう。新自由主義的な「効率が第一」という原理からすれば、「排除」される人は山ほどいます。石原慎太郎元都知事が障がい者の施設を訪れて、「この人たちに人格はあるのかね」と本心で訊ねた、という話も記憶に新しいはず。そう、経済効率が優先される社会は、優生思想と隣合わせともいえるでしょう。
 「こどもいのちのネットワーク」(こいのち)の学習会のタイトルは、「19人・・・それぞれのいのちが、私たちに語りかけるもの」としました。名前を公表せず、19人と一括りにしてしまうことの理不尽さを思います。生を奪われたのは「19人」ではなく、一人ひとりのいのち×19、なのです。
 今回、2001年から2005年までやまゆり園に勤務され、19人のうち7人の方を担当されたという西角純志さん(現在は専修大学兼任講師)にに話をしていただくことになりました。「19人全員の生きた証を残すことが、植松容疑者の主張へのアンチテーゼになるはず」と、それぞれの方々の生前の様子の記録を作成されています。
 そして、重度の脳性麻痺のため24時間介護を受けながら、世田谷で自立生活を送り、障がい者解放の運動に深く関わる「HANDS世田谷」理事長の横山晃久さん、世田谷区長の保坂展人さんが加わり、「今私たちがなすべきこと」を共に考えあっていきたいと思っています。

今、辺見庸さんの「1★9★3★7」を読み、日本、そして日本人の「摩訶不思議」な今の有り様、思考形態を解くヒントを見つけた思いです。早く読み終えたいのと、終えるのをまだ待ちたいような気持ちと・・・。もう数ページで終わってしまいます。今、会う人ごとに「絶対に読んで!」と勧めています。
 「やまゆり園」の19人、という伝え方とまさにかぶっているのが、戦争の時の死者を数でしか表現しないやり方。辺見さんが一番言いたかったのは、このことなのではないか、と思えます。1937は、南京大虐殺が起こった年のこと。辺見さんはご自分のお父さんが、語ることはなかったけれど、やっぱり「殺った」のではないだろうかと推察し、「一人の人間がどう関わったのか」という視点から、とてつもない大きな事件を見ていきます。殺戮した側も「個人」でやったのではなく、「天皇の軍」(皇軍)としてやったのであり、された側は、一人一人でなく「何百」「何千」「何万」、ものとして当然のように殺された。大虐殺の事実は、そうして「戦争だからやむを得ない、当たり前のこと」とされ、殺されても塊のほんのひとかけら。辺見さんの本の中には、堀田善衞の「時間」という、彼が一人の中国人になって語るような小説のことがたくさん出てきます。本の「終章」でもその一部が引用されています。
 『何百人という人が死んでいるーしかしなんという無意味な言葉だろう。数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を、黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない。一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人、この2つの数え方の間には、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある・・・。』(堀田善衛「時間」) 大切なのはこの視点だ、とまさに思います。震災が起きれば、何千人の死、と伝えられます。ビートたけしが、阪神大震災の死者のことを、「5000人の死なのではなく、1人の死が5000あったということ」と言った言葉がずっと忘れらないで、「神戸をわすれない」という会を私は続けてきています。そう、その視点がなければ、どれも他人事なのです。日本人が今のように「だらしなく」なってきているワケの鍵がその辺にありそう。そのことが、22日の会でもきっと語られることになるのでしょう。
ぜひご参集ください。

「19人・・・それぞれのいのち」ーやまゆり園事件を考える
 4月22日(土) 14時~17時
 太子堂まちづくりセンター 2F (東急田園都市線・世田谷線 三軒茶屋下車4分)
 プログラム 
  西角純志さんからの報告
  西角純志さん・横山晃久さん・保坂展人さんによる鼎談
  会場とのやりとり。
 資料代  500円
 連絡先:星野弥生 03-3427-8447 marzoh@gmail.com
プロフィール

marzoh

Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

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