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「作兵衛さんと日本を掘る」を観ました。23日のトークへのお誘い。

 鳴かず飛ばずのブログで、もう誰も見ることはないだろうな、と思いつつ・・・。日々、いろんな「通信」をつくることが多いので、どうしても「緊急性」が優先となり、自分としては、ブログで発信しているようなつもりにはなっています。そういう通信をブログにアップすればいいのだ、と思いながら、やっていません。
 言い訳はともかく、ブログが一つの「伝える」手段になっているのなら、やっぱり綴ってみよう、と思う映画のことです。熊谷博子監督の「作兵衛さんと日本を掘る」を、ポレポレ東中野に観に行きました。「三池~終わらない炭鉱(やま)の物語」を観て、私たちが子どもの頃、遠いところにあっても、「炭鉱」や「ボタ山」は当たり前のようにあったのに(教室には石炭ストーブがありましたから)、それがいつの間にか消えてしまったことに、さほど深い背景を考えることもなかったなあ、と気が付かされました。熊谷さんの「むかし原発、いま炭鉱」もすぐに買いました。
 熊谷さんから連絡を頂いていたし、今日のトークのお相手は鎌田慧さん、と知って、行かなきゃ、と。炭鉱夫だった作兵衛さんが、60代後半から、「子孫に残さなくては」と一日二枚のペースで書いた2000枚にもなる、炭鉱で働く人たちの生活、労働を描いた絵は、ユネスコの世界記憶遺産に登録されています。「マグナ・カルタ」やベートーベンの自筆楽譜と肩を並べる世界遺産なのです。作兵衛さんの絵を全体のモチーフにした、それらの絵に関わる方々へのインタビューで語られる炭鉱の歴史は、決して過去のものとは思えず、迫ってきます。
 作兵衛さんの絵に描かれる炭鉱で働く女性は、観音様のよう(上野英信さんは、聖母像と言われたそうですが)だし、男はかっこいい。鎌田さんは、「あれはロマンですね。実際は、粉塵で真っ黒ですから」と語っていましたが、私は「美しいなあ」とそのまま見惚れていました。映画の終わりにある作兵衛さんの晩年のことば「けっきょく、変わったのは、ほんの表面だけであって、底のほうは少しもかわらなかったのではないでしょうか。日本の炭鉱はそのまま日本という国の縮図のように思われて、胸がいっぱいになります」は、ズバリ突きつけられたような思いがします。
 日本のエネルギーの大半を賄ってきた炭鉱と、原発が重なります。炭鉱が次々と閉鎖され、経済が立ち行かなくなったところに、原発が誘致されます。常磐炭鉱があった福島に原発が立てられていく、というのが一番わかりやすい例ですが、九州の玄海原発もそうです。原発を電力源とするために、炭鉱をなくしていった、とも言えるでしょう。原発の問題は、炭鉱の問題と深く関わっています。炭鉱も原発も、すべて国策に翻弄されてきたということ。
 前回の東京オリンピックの年である1964年は、上野英信さんが筑豊文庫を作った年であり、作兵衛さんが絵を書き始めた年だそうです。福島は何も問題がない、日本はすべてオッケーとアピールするような2020年のオリンピック。そんなの認めないよ、と事あるごとに言い続けていますが、だからといって何ができるわけでもありません。でも言い続けたい。オリンピックなんかやっている場合か、と。
 熊谷さんと鎌田さんのトークで、「最近、ひどいよねえ」と鎌田さん、つぶやいていました。「どうする?」と。「現代の女鉱夫としては、事実を掘り出して運び、未来にむけて坑道をつくる。みんなが女鉱夫になりましょう。鎌田さんは鉱夫頭を。」という熊谷さんに、鎌田さんも「掘っていくと、トンネルの先に新しい光が見えてくる。それを信じていかないと生きていけない」と語っていました。
 一人ひとりが鉱夫になって、深いところを掘っていかなくては、何も見えなくなってしまうのが今の時代なのかもしれません。
 たくさんのことを考えさせられる映画でした。それにしても作兵衛さんの描く女性の表情に元気づけられます。ぜひ、観てくださいね。ポレポレ東中野で、延長して上映されるということです。

 お知らせ一つ。6月23日、23年前から世田谷で活動している「世田谷こどもいのちのネットワーク」総会の記念イベントとして、「子どもも親も、先生も幸せになる学校・教育とは? 」と題する、トークがあります。登場するのは、「仮説実験授業」の「出前教師」平林浩先生、そして世田谷区長の保坂展人さんです。30年近く平林先生の追っかけ?をし、「日曜科学クラブ」を月に一度世田谷で行ってきていますが(今では、息子、孫娘、共々三世代にわたっての追っかけです)、世田谷で学校を変えていく、と意気込む、区政三期目が始まったばかりの保坂さんと、子どもも親も教師も幸せになれる教育ってなんだろう、というお題で話をしていただこうと思っています。6月23日5時から、世田谷ボランティアセンター(三軒茶屋)で。
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「福島は語る」 そして「ふくしまっ子リフレッシュin世田谷」

ブログやってます、なんて恥ずかしくて言えないくらい、まったく書いていませんね。他の通信の類はしょっちゅう書いているので、そちらで代用しているみたいです。切羽詰まった期限のあるもののお知らせをしたい、と思う時、それと伝えずにはいられないものを見聞きした時、あ、書かなきゃと思います。
 絶対観てください、と会う人ごとに言っていた映画「福島は語る」が、渋谷での上映があと2日。私はこの映画を配給したピカフィルムの飯田さんが、観た人が宣伝部隊になれるように世田谷で先行試写会をしてくれたので、もちろんずっと前に観ていたのですが、改めてユーロスペースで2時間50分の完全版をさっき観てきました。なんと画面のきれいなこと! 一人ひとりの証言に思わず身を乗り出します。これは心の奥底から語られる真の「言葉」の映画。言葉になんとちからがあることか。福島の原発の事故により、生活、家族、仕事、夢、景色、人生のすべてを失ってしまった人びとが語るのですが、誰一人、声を大にして「反原発」を言うわけではありません。失ったものを語り、怒りもこみあげますが、でも、福島が大好きな人たちです。双葉出身の小野田さんが阿武隈川の美しさを語る場面に私は感動しました。よくぞここまで彼らから「言葉」を引き出したと、土井敏邦監督と語る人たちの間の人間的な信頼関係を思わずにはいられません。絶対に誰かがこのような言葉を伝えなくてはならなかったのだ、と土井さんに本当にありがとう、と言いたいです。
 ずっとパレスチナの問題を追い続けてきた土井さんは、上映後のトークで「パレスチナの人たちも福島の人たちも人災で故郷を追われている。故郷を追われるとはどういうことなのか」と問いかけます。帰れないはずの故郷を、除染して帰そうとするのは、誰のため、何のためなのか。それは原発保証を早く切りたいという思いがあるからだ、と。「福島でもガザでも、奪われているのは人間の尊厳。人間が人間として生きる権利が失われている。なのに加害者は誰一人として罰せられない」と土井さんは言います。映画の中にも、ありました。「復興というのなら、原発再稼働しないことがまずは復興」。原発の再稼働に躍起になり、福島は終わったとばかりにオリンピックに喜び勇んでひた走るひとたちに、「復興」などという資格はありません。語る人びとの静かな言葉から、観る側には「福島で起こったこと」のなかったことにしようとする人たちへの怒り、憤りがこみあげてきます。決して当事者になれない私達、彼らの語る言葉への「共感」そして、起こったことへの「想像力」で、このことをやっぱり伝えていかなくてはならないなあ、とあらためて思ったのでした。
 私たちが世田谷で2012年から実施している「ふくしまっ子リフレッシュin世田谷」の20回目がまもなく始まります。福島で作られた電気を消費していた私たちが、いわれのない原発の事故で外で遊ぶ自由すら奪われてしまった福島のこどもたちに何が出来るだろうか、と世田谷のさまざまなグループがネットワークを組んで始めたプロジェクトでした。はじめの頃は春、夏、冬と長期のお休みに行ってきましたが、二年前から春と冬の二回に、と縮小しました。福島のことも次第に忘れられ、いや、忘れさせられていき、カンパの集まりも少なくなってきました。スタッフの人数も減ってきました。なるべく長く続けたいとのちからを温存させることにしました。ほんのささやかな活動ですが、福島で起こったことは決して忘れない、忘れさせない、という私たちの抗いの気持ちも込めて、続けています。原発や放射能の話を福島ではもはやできなくなってしまっている親たちの声を、世田谷で聴く機会ともなっています。
 
まだ、「福島は語る」、観ていらっしゃらない方は、21日、22日の10時半から、ユーロスペースにぜひ行ってください。監督のトークもあります(これがいいのです)。
 ふくしまっ子リフレッシュin世田谷は、26日から31日。カンパもよろしくお願いします。(HPを見てください)

今年も「神戸をわすれない」

 二ヶ月以上、鳴かず飛ばずでした。伝えたいことは山程ありますが、私もいろいろな「通信」を追われるように作り、そちらを優先してしまうので、ブログはまったく手付かず。通信をそのまま載せるというテもあるねえ、と今さらながら思っています。
 そうこうしているうちに、年が明けて半月が過ぎました。今日は1月17日。1.17の午前5時46分は、いつまでも刻み込まれています。あれから24年。来年は四半世紀。毎年1月は私にとっては「神戸」の月。長田区の野田北部・鷹取地区で95年からずっとまちと人びとの復興の様子を、映像に記録(記憶)し続けてきた、青池憲司さん&青池組に、私も伴走しながら、世田谷で上映会を続けてきました。96年が第一回だったから、もう23年になります。当初は、撮影・編集が終わり、作品が完成する度に、世田谷で追っかけ上映会をしてきたので、年に2~3回のこともありました。このところは年に一回なので、今回は32回目。われながら、よく続けたなあ、と思います。「やめる理由がない」というのが、続けてきたことの言い訳です。その後も3.11があり、日本のどこでも地震が起こり、首都圏直下型地震の可能性は30年以内に80%、という恐ろしい数値。この国に暮らすなら、災害は覚悟の上でなくてはなりません。
 今回の「神戸をわすれない」は、「神戸に学び、都市型災害に備えるために」としました。神戸の経験に学ぶことはまだまだたくさんあります。神戸は私にとっては、多くの友人が暮らす場であり、彼らがあの日からたどってきた再生への道筋を、もちろん私はたどるすべもないけれど、できるだけ近くに感じていたいと思ってきました。非被災地にいる私たちは何もできないけれど、想像を働かせ、思いをともにすることくらいはできるのではないか。神戸の人たちの復興への歩みを、世田谷で映像を通じて少しでも共にできたら、というのが、上映会の開催であり、神戸での経験を話してもらう機会でした。31回、本当にどの回をとっても、私にとっては宝のような、生の、当事者だから語れる素晴らしい話でした。まだ、あの人の話を聞きたい、来てほしい、と思うから続けられている会なのかなあ、と思います。
 直前になってしまいましたが、1月19日の第32回めの「神戸をわすれない」の案内をさせていただきます。まだまだ、たくさんお伝えしたいことはありますが、とりあえず差し迫ったイベントから。

第32回 神戸をわすれない

 「神戸」に学び「都市型災害」に備えるために
 とき:2019年1月19日  午後7時~9時半(開場 6時半)
 ところ:世田谷産業プラザ (東急田園都市線・世田谷線 三軒茶屋下車3分
 プログラム 野田北部・鷹取の人びと  第9部 上映
         トーク  青池憲司監督、河合節二さん、高木史雄さん、保坂展人さ
  主催   神戸をわすれない・せたがや           
(星野弥生〔℡&fax 3427-8447 marzoh@gmail.com〕)

後援   世田谷ボランティア協会・せたがや災害ボランティアセンター
     世田谷区、世田谷区社会福祉協議会
協力   世田谷こどもいのちのネットワーク、市民運動いち 
参加費 500円(資料代)

1995年1月17日の阪神大震災から24年が経ちます。大都市に住む私たちにとって、神戸の被災の体験は、来るべき首都圏の大災害にどう備えるか、そして被災後の地域の復興がどうなされるべきかについての大きな学びとしてあります。神戸長田区の野田北部・鷹取地区にフォーカスし、記録=記憶ビデオを取り続けてきた青池憲司監督&青池組に伴走しながら、96年からずっと世田谷で記録映像を上映し、地域でのまちづくり・人の関係づくりに神戸の経験を活かそうと、これまで31回の「神戸をわすれない」会を催してきました。青池組は、3.11以後、石巻の門脇地区で、やはりコミュニティの再生の歩みを取り続け、「神戸をわすれない」でも、映画の完成を待って上映の時を持ってきました。2018年の会で上映した「まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語」は、東京でのお披露目の会となりました。まだ見ぬまちの向こうには、野田北部のまちづくりが見える気がしています。
2020年は、阪神から25年目の年。被災地、被災した人びとを置き去りにしてひたすらオリンピック、と世の中が浮かれるのなら、私たちは、今一度阪神で問われたこと、そしてそこから学んだことを問い直す機会にしたいと思います。東京に住む私たちには、同じ「都市」で起こった神戸から学ぶことがたくさんあります。そんな思いから、32回目の「神戸をわすれない」では、久々に「記憶のための連作」の第9部を鑑賞し、「都市型災害」に備える世田谷での防災、まちづくりを考えていきたいと思います。9部に描かれる1996年11月の「世界鷹取祭」には、スペインにある子どもたちの共同体「ベンポスタこども共和国」のサーカス団の若者たちが15人やってきて、大国公園で人間ピラミッドを披露し、被災した人たちを力づけました。
トークには、野田北部まちづくり協議会のかつての若手、今は代表となっている河合節二さんが神戸から馳せ参じてくださいます。「世田谷」の話をしてくれるのは、世田谷の若林地区の町会で防災部長を務める高木史雄さん。若林では河合節二さんを世田谷に何度かよんで、神戸に「学んで」きました。「神戸をわすれない」の常連でもある保坂展人世田谷区長にも加わっていただき、世田谷が今神戸に学ぶこと、を共有できたら、と思っています。
この会ではグージーまんじゅうでおなじみの長田神社前商店街のきねやさん。グージー生みの親のご主人が夏に急逝されました。地震で店も地域も立ち行かない中、ずっと頑張ってこられました。無念です。「ありがとう」とともに、心から冥福を祈る機会ともしたいと思います。

沖縄に触れ、沖縄におもいを馳せた「文化の日」

 昨日は「文化の日」でしたね。文化勲章とか功労者とか、ほとんど興味ないですけれど、2日、3日とけっこう私なりの「文化」を味わいました。2日は農大の収穫祭で野菜を買い、午後は坐・高円寺で劇団態変の「ニライカナイ」を観ました。前にブログに書いたとおりですが、9月に烏山で「態変」の主宰者金満里さんと保坂さんとのトークがあり、すっかり金さんにハマり、公演に是非行こう、と決めました。金さんは三才の時にポリオに罹って以来、首から下が全身麻痺。「態変」の舞台に立つのは全員が障碍者です。しかも重度の。障碍をありのままに、と全員がレオタードで身体表現をします。2年前の「やまゆり園」の事件でいのちを失くした19人は他ならぬ「自分」だ、と自らも施設に閉じ込められていた経験をもつ金さんは感じ、名前も公表されず「19人」とくくられる一人ひとりの無念を振り払って、「ニライカナイ」の遥か向こうで「生き直したい」という思いを舞台にしました。障碍者は不自由だろうと、いわゆる「健常者」と言われる私たちは思いがちだけれど、「障碍者にとって障碍は当たり前のことなので不自由ではない」と金さんは言います。しかし、むしろ都会という「施設」に私たち「健常者」は閉じ込められているのではないか。どっちが不自由なのだろうか、と気付かされます。
 障碍者にとって「自然」は決して優しいものではなく、人を癒やしてくれるものではなく、厳しい「脅威」だ、と金さんは9月のトークで言いました。でも彼女が西表島で太古の森に一人でいた時に、大木にしがみつく小さな蟻の姿に自分という存在と同じものを見て、「宇宙には大も小もなく、それぞれが必死に生命の営みの活動をする。そう思えた時に大自然への脅威は消えた」と語っています。西表島でいわば「啓示を受け、ありのままの身体を表現しようとする道が始まります。公演のタイトルである「ニライカナイ」とは沖縄で「亡くなった人が生きている人と行ったり来たりする水平的な関係の死生観」を意味します。死者と生者という垂直な死生観とは違うものです。沖縄では亡くなって7年目にお墓から骨を取り出して洗骨の儀式をするといいます。メキシコでの大きなお祭りの日である「死者の日」は11月の1,2日。その日には生者と死者が交流をします。ニライカナイと同じですね。骸骨でまちが埋まり、人々は派手に仮装します。実際に見たことはないけれど、「フリーダ・カーロの遺品」の映画の翻訳をしている作業の時に、メキシコのオアハカでのお祭りの場面がたくさん出てきて度肝を抜かれました。行ってみたい! これってハロウィンの起源じゃないかな。11月2日という意味深い日(金さんの誕生日でもあります)にすごいものを見せていただきました。公演後のトークでの相方だった高橋源一郎さんは「態変の芝居は『粘菌』みたいなものじゃないか。粘菌は死なず、生と死の壁を超え、植物と動物の違いも超えている」と語りました。「19人は殺されたけれど死んではいない。『忘れない』と過去にする時に終わったことになってしまう」と金さん。あっちかこっちかではなく、境界を超える「越境」。私たちの生き方、生活の中でもっともっと考えていきたいなあ、と思ったことでした。
 そして昨日3日は、成城での「コスタリカの奇跡」の上映会で話をし、その後に中野で二日間行われている「チャランケまつり」に顔を出しました。今年で25年目になる沖縄とアイヌのお祭り。まつりを始めた張本人が友人でもあるので、中野でできなくなるかもしれない、と世田谷での可能性についての相談も受けてきたのですが、「チャランケは中野の宝」という理解ある区長にかわって継続できることになりました。本当によかった。チャランケとはアイヌの言葉で「話し合う行動行為」という意味。沖縄で「チャーランケー」とは「消してはいけない」。チャランケまつりでも「旗あげ」「旗おろし」という儀式、つまり天からカムイ(神)を降ろし、また上げるという儀式をします。文字通り、神と人が一つになる。これもニライカナイ、死者の日につながりますね。神を地上に下ろす儀式や保坂さんのトークなどに参加できなくて残念でしたが、友人と泡盛を飲みながらエイサーやアイヌの踊りを観ました。和光小学校の子どもたちも毎年ここで踊っています。和光の先生だった園田先生も実行委員会の中心メンバーで、久々にお会いしました。民意は「辺野古への移設には絶対反対」なのに、それを無視してゴリ押しで工事を強行しようとするヤマトの政府には「チャランケ」(対話)してもらわなくては困ります。楽しく、また考えることも多い二日間の「文化の日」でした。

金満里さんの生き様と言葉にすっかり魅了されました。

 三ヶ月くらいのご無沙汰でしょうか。この間、ヨーローパで一ヶ月を過ごしたり、9月半ばに一週間、アイスランドに行ったり、と書くネタは数々あれどサボっています。アイスランド紀行を綴っておこうかなあ、と思っていたところ、昨日(9月29日)の集会があまりにインパクトがあったので、先にとどめておこうと思います。
 烏山区民会館での「相模原事件をあなたは覚えていますか? 障碍者と共に人間の価値を真から問い直す」と題する劇団「態変」の金満里さんと保坂展人さんのトークでした。広い会場なので、ぜひとも宣伝してほしい、との友人からの頼みでチラシをたくさん配布するお手伝いをするくらいでしたが、ものすごくいい会でした。その日まで知ることのなかった金さんに惚れ込みました。
 金さんは3歳の時にかかったポリオのために「障碍者」としての人生を送るようになります。そもそも人類は「人間になるために二足歩行をしたのだけれど、二足歩行は重力が下にいくので、当然出産時の胎児にも影響する。そのリスクを選んで人間は二足歩行へ道を歩んだのだから、障害と言われる人たちが生まれるのは人類全体の問題」そうか、障害を持って生まれた人たちは、人類の生きる難しさを背負って来てくれたのだ。そんなふうに気づくことが障碍者との共生につながるのかなあ、と思います。金さんの言う「障害そのものの身体性」、そのままでいい、ということ。それは障害を持った人に特化されることでもなく、「健常者」といわれる私たちにも伝えられるメッセージでもあります。
 相模原のやまゆり園で19人の障碍者は「私にかわって殺されてしまった。他人事ではなく、想像力を持てば今の自分に重なってきます。ここからは2つのことが見えてきます。感情としてわきあがってくる許せなさ。そして社会構造として社会的に見た象徴的な問題が」。19歳までを施設で過ごした金さんは「施設の中では何もしない、自分を実感できない。抗うとか憎むではなく、受け入れてしまう。そこまで人間性を奪われてしまう。これは今の社会そのものです。社会を脅かさない施設は都会的な構造です。都会の施設から太古の森へ脱出しなくてはなりません」そうか、都会の施設に閉じ込められている「健常者」は手足をもがれているのかもしれません。「態変」でからだの中からの感覚をありのままに表現する肉体の不自由さをかかえた人たちの方がよほど自由なのかもしれない。
 障碍者となった時から「はじかれて」きた金さんと、内申書裁判から社会をドロップアウトし人生を勝ちとった保坂さんとの対談もすごく面白かったです。保坂さんが言うように、衆議院議長公邸に犯人は手紙を届け、安倍首相にとりついでほしい、と言っているのだから、これは「国会で起きた事件」なのです。やまゆりの事件が起こったのは、ちょうど日本が戦争ができる国になり、生産性を上げる人材のみを求め、効率のいい人間だけが生き残ればいい、という宣伝にみんなが煽られている社会の中でした。そのいう社会の中で起こるべくして起こったとも言えます。なので国の長は一言もコメントせずに、事件は忘れ去られていく。忘れさせられていくのでしょうね。国にとって都合の悪いことはすべて。中学の卒業式に出さないために教師たちが少年保坂展人を教室で組み伏せていた時の「身体感覚はどうだった?」と金さんが問うと、「先生は『10年経ったら感謝することになるぞ』と言いました。でも会えば教師は目をそらせます。大人の作った仕組みから一旦排除されたのは気持ちいい部分もありました。大人への不信で、からだは緊張し、涙も封印していたけれど、放浪していた沖縄で70のおばあが軽やかに踊るのを見て涙が流れましたね」
 沖縄は人を解放させるのでしょう。今回の金さんの世田谷でのイベントは、11月2~4日の劇団態変の公演「ニライカナイ」に向けたもの。ニライカナイとは「亡くなった人が生きている人と行ったり来たりする水平的な関係の死生観」を意味します。死者と生者の垂直死生観とは違うものです。沖縄では亡くなって7年目にお墓から骨を取り出して洗骨の儀式をするといいます。
 期せずして、沖縄知事選の前の日に、金さんと保坂さんの話で沖縄がグッと近づいてきました。『ニライカナイ』11月2~4日、座・高円寺1で、14時と19時。おすすめします。私も行きます。昨日のトーク、そして金さんと親しくお話させていただいてすっかりその気になりました。都会の施設から太古の森を垣間見たい。
 今日は台風の中の沖縄知事選。玉城デニーさんの勝利を祈るばかりです。
プロフィール

marzoh

Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

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