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こいのち通信 1月号より

年が改まったら、気持ちも改めて、長くサボっていたブログを書く、と言っておきながら、またサボっています。言い訳をすれば、別のさまざまな通信を作ると、”書いた!”という気になってしまう、ということです。
 なので、先日出したばかりの「こいのち通信}(世田谷こどもいのちのネットワーク通信)の一部を、コピペさせていただく、というズルをします。

「こいのち通信」1月号
コロナをそのまま持ち越して、年が明けました。おめでとうございます、も言う気になれませんでしたね。新年早々、年末年始のGo To Travel, Go To Eatのキャンペーンのせいで、感染者数が増大し、遅れ遅れの緊急事態宣言。外食せよ、と言ったばかりなのに、出かけるな、家で食べろ、三人以上は集まるな、店は8時に閉めろ、などのお達し。挙句の果てに、違反をした店には罰則を課すことが決定され・・・。いったい何を考えているんだろう、と呆れを飛び越して、情けないことこの上ないですね。国会での論議(になっていないけれど)を聞いていても、まったく答弁になっていません。事情が刻々と変化しているのに、オリンピックを「人類がコロナに打ち勝った証として予定どおり開催する」と壊れたテープレコーダーのように繰り返すのみ。福島はアンダー・コントロールどころではないのに・・・。補正予算に、コロナ後のGo To Travel, Go To Eatに何兆円も当てるというのも、何の反省もないですね。生活の手段を奪われた人たちを救済するのが先決だろうに・・・。  新年早そう、グチばかりでごめんなさい。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。せめて通信でつながれていることを喜びたいと思います。
 1月が終わろうとしている時に、1月号をギリギリで出すことにします。新年のイベントも中止、ボロ市もなく、本当に寂しい限りでした。それでも一ヶ月過ぎてみると、けっこういろんなことがありました。1月というと、私はやっぱり「1.17」なのです。震災の翌年から世田谷でずっと続けてきた「神戸をわすれない」という名の、神戸のことを映画で観て神戸に学ぼう、とする会も、34回目となりました。昨年の25周年に、「野田北部・鷹取の人びと」を作ってきた青池憲司監督が、そろそろ潮時、みたいな感じだったし、コロナ禍もあるし、今年はどうしようと考えあぐねていたのですが、やっぱり忘れないのだ、と思い直して、1月23日に開催しました。いつもなら「こいのち通信」に入れるチラシも作らず、区からの後援名義も取らず、プレスにも連絡せず、呼びかけは「神戸をわすれない通信」(そんなものも作っているのです)のみ、というごく控えめな準備で臨みました。非常事態で、区の施設が8時以降は強制的にキャンセルとなってしまう事態で、予定の映画も終わりまで見る時間をとれず、おまけに寒い雨の日でしたが、17人が集いました。 なんとなく、年に一度はこの場で会おう、と約束しているような雰囲気の会なので、いつもの顔、やっぱり神戸をわすれない、まだまだたくさん学ぶことはある、と思いを共有する方々に会えたことがなによりでした。 震災から5年の日々を綴った156分の「再生の日々を生きる」をじっくり鑑賞する予定でしたが、1時間15分くらい観たところで打ち切り!この先、まちづくりはどうなるのかとの期待がつのる中で残念ながら終会となりました。全編を観る機会を再度持ちたいと思いますので、その時はぜひ!この映画では、まちづくりを住民、専門家、行政が一緒になって真摯に討論する中から、意思決定をしていく、という、今の時代に失われつつある民主主義の原点が描かれていて、今だからこそ必見!と思えます。コミュニティは黙っていては出来ないということを教えてくれます。
 数日前に、素晴らしい映画を試写会で観たので、そのことにも触れたくなりました。「きみが死んだあとで」(代島治彦監督)。1967年10月8日、当時の佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止しようとする学生と機動隊がぶつかったいわゆる羽田闘争で殺された、当時18歳の山﨑博昭さんが「きみ」です。山﨑さんと私は同い年。代島監督は10年年下。「もしもぼくが「団塊の世代」に生まれたとしたら、第二次世界大戦の直後1947年から49年の間に生まれたとしたら どんな人生を選んだとしたら どんな青春を選んだだろうか もしもぼくが1967年10月8日に羽田/弁天橋で死んだ18歳の若者の友だちだったとしたら どんな青春を歩んだだろうか」と問いかけます。200分、息を殺して見続けました。会場にいらした代島監督には思わず「ありがとうございました!」と言ってしまいました。何よりも「言葉」が生きている、言葉のちからを感じます。そんな時代だったのだなあ、みんな、理論も実践も、ちゃんと言葉で学び、言葉を使っていたように思えます。それは、今も糧になっています。50年以上経って、山﨑博昭さんと高校、大学で友人、同志だった人たちが語る言葉が、私が生きていた時代と完全にオーバーラップし、心に響きます。4月からユーロスペースで上映の予定ですので、ぜひ、その時代を生きた同世代の人、そしてやっぱり若い人たちに観て欲しいです。              

婚外子差別事件の解決を~世田谷区役所での窓口対応から考える
 1月15日世田谷区役所内で、地域行政部長、住民記録・戸籍課長と、「なくそう戸籍と婚外子差別交流会」との話し合いが行われました。参加者は交流会のメンバー、伊達さん、桜井純子区議、私(星野)も一区民として同席しました。事前に担当者に提出された趣旨は以下の通りです。
 『昨年の第四回定例区議会で「婚外子差別撤廃のための戸籍法改正を国に求める意見書提出に関する請願」が趣旨採択され、区議会議長名で国に要望書が提出されました。また、2018年から昨年まで3年連続で、全国連合戸籍住民基本台帳事務協議会総会において、「出生届の摘出子・摘出でない子の記載欄の廃止、戸籍の実父母及び養父母との続柄欄の廃止」を国に要望する決議がされております。これを受け、世田谷区の行政におかれましても、同内容を本年の全連でも決議いただくよう、東京協議会(東京戸籍住民基本台帳事務協議会)及び東京都連協議会(東京都連戸籍住民基本台帳事務協議会)にご提案いただくようお願いいたします。』
 伊達さんの娘さんが戸籍謄本の交付申請のために出張所窓口に行き、母親を筆頭者として申請書を出したところ、職員が「お母さんが筆頭者のわけがない」、さらに「父親の名前を書いて」と言った、婚外子を差別した事件から4年が経ちました。その経過や問題点は、伊達さんから寄せられた文章や、交流会の通信、みなさんにもお勧めしている「世田谷区窓口での 婚外子差別から考える」(2019.3.21集会記録)により、また昨年7月に世田谷で行われた集会に参加しながら把握していたつもりですが、はじめて区の担当者との話し合いの場に居合わせ、「なぜ、4年も経ってまだまだ振り出し地点にいるのか」という驚きを禁じえませんでした。なぜ、そんなに戸籍の内容確認に手間取らなくてはならないのでしょうか。 「できないだろう」が前提になっているように思えて仕方がありません。昨年3月に桜井区議が質問し、区として差別対応があったことを認める副区長の発言を引き出し、また、法務省の月間「戸籍」に「担当者が戸籍情報を見ながら質問をしていればこのようなことにならなかったかもしれないね」との一職員の言葉が載るなど、窓口での不適切な対応は明らかなのに、なぜ事前に戸籍情報を見て本人確認をする、というのがかくも難しいことなのか・・。話を聞いていても、首をかしげてしまうことばかり。二言目には、「プライバシー、情報漏洩の恐れ」が金科玉条のように語られます。戸籍の多い世田谷で、どの戸籍を発行すればいいのか、同姓同名があり得る・・・、などと、ほぼあり得ないことを持ち出してくるのは、事前に戸籍情報を確認しながら質問をするということはできない、というかたくなな区の拒絶の姿勢の表れではないでしょうか。事前確認が難しいことの理由の一つに、すべての出張所の区民窓口に端末を置くスペースがないことが挙げられましたが、そんなの今の時代にどうにでもなるでしょう、どうにかしなくてはいけない、と思いますけどね。本人確認を簡単にするために、マイナンバーカードを活用してほしい、などと、こちらが訊きもしないことがとうとうと語られたりするのにも、そんなのこっちの勝手でしょう、と思ってしまう。なにがなんでも拒む姿勢を見てしまいます。意地があるのでしょうか。法務省も「事前の本人確認を。訊いてほしくないことには答えないでいい」と月間『戸籍』で配慮しているのです。伊達さんも「事前に見るに優る方法はなかった。差別の問題は個別であり、問題が起きる可能性があることを考えてほしい」と訴えました。事前の情報がなく、窓口で訊かれれば「ないんです」と答えざるを得ません。どうも役所というのは、「標準家族」を前提として対応しているように思えます。現実にはいろんな家族の形態があります。シングルマザーは増え、かつては「欠陥家族」とされていたこともある、「規格外」の家族が一般的になりつつあります。夫婦別姓を選ぶ自由も一般化されるでしょう。
 法務省の担当者は、「事前に戸籍を見てから質問することは問題なし。端末がなければ事前に送ってもらうのは問題なし」としています。法務省自体が、「傷つけてはいけない」ということを全国自治体に発信しています。この問題は、正しく「人権」の問題です。認知のない婚外子に父親の名前を訊いただけで人権上はアウト、なのです。その意味では、国の見解をしっかり守るべきだし、そういう「人権」についての研修を職員に徹底してほしいしと願います。以下の伊達さんからの当日の感想を聞くにつけ、これはなんとかしなくてはという気にさせられます。こいのちでも、ちゃんと取り組みたいですね。
 
              いろいろ告知板

★「もっと語ろう不登校」2月9日(土)リアルは人数制限ありです。               連絡先:3327-7142(ぼくんち)  ズームでの希望者は招待状送付希望のメールを佐藤由美子さんまで。  Yurinoki11313@gmail.com

★優れたドキュメンタリー映画を観る会より いち早くのお知らせ!です。
 3月6日(土)~3月10日(木)
  「れいわ一揆」(2019年/4時間8分 原一男監督
 3月11日(木)、12日(金)
  「福島は語る 完全版」2018年/5時間20分 土井敏邦監督
 下高井戸シネマで連日AM11:55~上映します。
○国会中継では、増える失業者、格差、貧困、贈賄、山積する問題、野党の議員からの質問に対し菅首相のなんの展望も施策もない、虚ろな答弁に対して野党議員が「今の政権では国民の命は救えないよ!!」と𠮟責するありさまでした。今回上映するドキュメンタリー映画「れいわ一揆」はそんな思いや怒りをぶつけた映画です。決して一つの党に偏ったプロパガンダ作品でなく、人間の自由と平等を尊重する民主主義を考える作品として観てほしいと、原一男監督が語っています。主人公である安富歩さんの何よりも子どものいのちを大切に考える国家であるべきというメッセージが心に響きます。
 そして「福島は語る 完全版」です。短縮版に収められなかった廃校になる双葉中学校の最後の卒業式や、原発で働く人々、除染現場のことや、10年経っても決してアンダー・コントロールなど出来ていないことが解ります、この作品を観て、これからも福島にエールを送り続けたいです。80歳の女性からこんなお便りをいただきました「福島県人は半ば諦めようとしている、ならば私たち他県の者が許さない。」と、正に同感です (飯田光代)
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阪神大震災から26年目の今日、1月17日

 自分のブログを開いてみてびっくり。ちょうど一年前ですね。もう、これっきり書くことはないかな、と思って、パスワードもうろ覚えでした。あまりにいろんなことが一年間にありすぎて、ブログを書く余裕がなかったようです。コロナもさることながら、一年前には予想だにしなかった、連れ合いの急逝、というまったく想定外の人生の一大事件があったりして、なかなかブログのことに思いが行きませんでした。さまざまな通信の類はずいぶん書いていたような気がしますが。昨年は一回しか書かなかったブログを見ると、何人か反応してくださっている方がいるのだ、とわかって、少し「やる気」が出てきました。

 今日は1月17日。あの大震災から26年目。去年は隣に寝ていた夫が「もうすぐ5時46分だよ」と声をかけてくれ、布団の中で黙祷していましたが、今年は隣にいるのはネコで、もしかしたらその時間を教えてくれたのかもしれないのですけれど、目が覚めたら6時半でした。不覚・・・。10日ほど前に、毎年この時期に出している「神戸をわすれない・通信」を、なんとか作り上げ、23日に予定している34回目の「神戸をわすれない」の周知をしました。それを読んだ友人のひとりからのメールで「弥生さんのブログで知らせてください」と書いてくれたので、ああ、そうだ、ブログという手段、今こそ使おう、と思い至りました。その冒頭に書いた「阪神大震災から四半世紀が過ぎ、今年は26年目」を、再録します。

 【25年間、「神戸をわすれない」と言い続けてきましたが、こんな年が巡ってくるとは想像もしていませんでした。去年は大震災から四半世紀。第33回目の「神戸をわすれない」は、25年経った鷹取・野田北部地区の「今」を描いた映像を上映する、という記念すべき会となりました。その時、青池監督に「もうこれでおしまい」みたいなことを言われ、私はなにか捨てられたような思いだったのですけれど、その後に思いもかけない「コロナ」が登場。またたくまに、日本中、世界中の関心事がそれだけになってしまいました。今年は、あの2011年の3.11から10年。今、被災地はどうなっているのか、とくに福島の原発事故は終わるどころかますます「アンダー・コントロール」でない状態であることが露呈されています。コロナで当然ながら延期されたオリンピックを、いまだ世界中がこのような状況にあっても開催するのでしょうか。狂気の沙汰としか思えません。「人類がコロナに打ち勝ったこと」「福島が復興したこと」の証としてのオリンピック?開いた口がふさがりません!
 「神戸をわすれない」会も、もうネタがないなあ、どうしようか、と考えあぐねていたのですが、コロナ禍一色で、他のことが忘れられている、そんな時こそ、「神戸をわすれない」というべきかもしれない、と突然思い立ちました。べつに企画を立て、いつものように世田谷区やボランティア協会に後援申請をしなくたって、「わすれない」ために、映画の上映をするだけだって意味があるのではないか、と。とりあえず、日にちを押さえて場所を取っておこうと、1月23日(土)の夕方から、宮坂区民センターを予約しておきました。もちろん、こういう状況だし、ひょっとして非常事態が宣言されたりしたら、会場が使えなるかもしれず、それでなくても公共の場所に行くことをためらう方も多いだろうから、大きく宣伝しようとは思いません。一人でも二人でも、思いを同じくする仲間が来てくださればと、お待ちします。
 やっぱり今年もやろう、と思った理由がもう一つ。昨年中、さまざまな通信を出す機会に触れましたから、繰り返しになりますが、コロナ以外の一大事は、5月に連れ合いが旅立ってしまったことです。まさかの病気が判明してから3ヶ月後でした。気功の実践家、指導者としてともかく早寝早起きを貫いていたので、私とはほぼすれ違い生活でしたが、私の関わる数多くの集会や講演会(本当に多かったのです)の中で唯一彼が毎回参加してくれたのが「神戸をわすれない」だったのです。震災後に一緒に鷹取教会のボランティアに行ったこともあり、そこでの神父さんやボランティアの人達との酒盛りも楽しんでいました。そんなこともあったのでしょうし、青池組の映像記録にはとても共感してくれていました。去年ももちろん来てくれました。終わってからの打ち上げに参加することはなかったけれど。そう、だから「今年もやるからね」と、彼を安心させたい、という思いもあるのです。阪神大震災の起こった日から5日後に母がなくなりました。そして17年前のやはり1月に、神戸にはとても縁の深かった父が突然亡くなり、数日後の「神戸をわすれない」会は写真を飾って開催しました。25年間に本当にいろんなことがあったと、「神戸」にかこつけて思い起こします】

 と書いて200通近くを送付した翌日、果たして東京では「緊急事態」が宣言されてしまいました。施設は使用禁止とはならないけれど、8時以降は強制的にキャンセルさせられました。なので、ギリギリ二時間しか使えません。上映予定の映画「再生の日々を生きる」は2時間半以上のものなので、半分しか見られません。でも、それでも集まった人たちで、この26年を思い起こすことができればいいかな、と思っています。通信を読んでくださった何人かから、「行きます」とのお返事をいただいています。「趣旨に賛同します」と言ってくださった方も。背中を押された感じです。
 「神戸の日」の今日、いつも私たちの会のためにお菓子を作ってくれている長田区神社前商店街のきねやさんに電話しました。もしかして、もう店を閉じてしまったかもと、気にしながら。電話を取ってくれた松田カツコさんは、「3月でやめます」と言っておられました。それなら、23日に間に合いますか?と訊いたら、大丈夫とのことなので、急遽、お願いしました。グージーどらやきです。なので、会を開催する理由が一つ増えました。 通信に掲載した、去年のきねやさんのお手紙です。

【暦ではもう春ですが、今日は寒いです。神戸でも雪が舞っています。毎日忘れずにイベントを開いてくださり有難うございます。今年は震災から丸25年、昨日防災センターへ行って来ました。思い出してなみだが出てきました。
長田商店街の私のまわりのお店は昨年から次々と閉店をし、ならびは不動産屋さんときねやとお茶屋さんだけになってしまいました。まさに過疎です。私のところも来年はこのイベントに参加できないかと思います。主人が亡くなり、無我夢中でやってきましたが、借金(震災の時の借入)が少しも減らず、働いても働いても、こんなに朝早くから夜遅くまで、休みなしで働いているのに、疲れてしまいました。人の温かさも知りましたが、それ以上に世間の冷たさが身にこたえました。あの時にやめておけばよかったと今更ながら後悔しております。できるところまでやってみてそれでダメならと覚悟しております。本当に長い間ありがとうござくぃました。こんな店があった事を心のすみにでもとめておいてください。  きねや 内】

第34回「神戸をわすれない」の案内は以下の通りです。ただし、時間が縮小となるので、プログラムを今思案中です。
【1月23日(土)18時~19時半 (開場 17時半)
 宮坂区民センター大会議室(東急世田谷線 宮の坂駅隣接) 
 「再生の日々を生きる」上映
 阪神大震災から5年の日々、「人とまち」の再生を撮りつづけた長編ドキュメンタリー映画
 (野田北部を記録する会 製作 青池憲司監督作品  2000年)
主催:神戸をわすれない・世田谷 (連絡先:星野弥生)
★25周年にDVD化された156分の作品です。「神戸をわすれない・せたがや」でも、ほんのちょっとの協力をしました。私たちの会でははじめての上映になります。
(解説〕 1995年1月17日未明、兵庫県南部地方を襲った大地震は、都市を直撃した自然災害としては関東大震災以来の被害をもたらしました。神戸市長田区野田北部地区も、その家屋の3割が全焼、7割が全半壊、死者41人という大きな被害をうけました。しかし、人びとはもたらされた被害に手をこまねいてはいませんでした。
 この地区には震災前から、「野田北部まちづくり協議会」があって、住民が自主的に自分たちの地域をみつめ、住環境の改善に取り組んでいました。震災直後、まちづくり協議会は復興対策本部を立ち上げ、被災者の生活再建とコミュニティの再生を模索する活動を始め、住民が主体となったまちづくりを進めたのです 時間がかかり、試行錯誤もありながら、地域のなかでじっくりと議論を重ね、専門家やボランティアと協働し、行政とも根気よく話しあうことで、「人間のまち」がつくられていきました。この作品は、野田北部という一地域にキャメラを据えて、震災直後から1999年4月まで、4年3か月におよぶコミュニティ再生のプロセスを、まちづくり協議会の活動を中心に記録した長編ドキュメンタリーです。

阪神の大震災から25年の今日。今年も「神戸をわすれない」

新しい年、2020年が開けて、もう半月以上が経ってしまいました。世田谷では、15日、16日と、430年続いているボロ市で、私もその時は他の予定も入れずにわが家を提供して開かれている、世田谷チャイルドラインのお店にかかりっきりなので(スタッフの賄い、という役どころです)、終わって一息・・・、なのですが、1月17日は、わすれもしない阪神大震災の起こった日なので、これもまた気もそぞろな一日を過ごすことになります。
 2020年は、オリンピックの年ではなく、震災が起こって25年目、四半世紀が経った年です。震災が起こって一年目から、世田谷で「神戸をわすれない・せたがや」なるグループを立ち上げ、続けてきて24年が経ちます。長田区の「野田北部・鷹取地区」のまちと人びとの復興と再生のようすを定点から記録してきた、青池憲司監督の「人間のまち~野田北部・鷹取の人びと」に伴走しながら、世田谷で上映会するという活動を続けてきてから、もうこんなに時が経ったんだ、と驚きます。続けてきたら、25年経ったんだ、という驚き。
 今年は、例年のように1月ではなく、2月8日に33回目の「神戸をわすれない」を開催します。はじめの頃は、年に2~3本の記録映画が作られ、それに合わせて世田谷でも年に数回の会を催していたから、こんな回数になりました。やっぱり、25年前に、東京と同じような大都市、しかも、私の友人がたくさん住んでいる神戸で震災が起こったことの衝撃は計り知れないものでした。なぜ神戸?と思いました。たまたま神戸だったのです。東京で起こっても不思議はない。そういう想像力、そして共感を持ったからこそ、これまで、「まだ神戸?」と言われても、続けてきた会でした。何年経ったから、という周年行事的なことには関心がありませんが、とりわけ今年はオリンピック、と言われることに無性に腹が立つので、ならば、神戸の年と主張したい思いです。
 今日だけは、新聞もテレビも特集を組むのですけれど、ふだんそんなことはわすれてしまっていることの言い訳のようでもありますね。応援とか支援とか、たかが知れているのですけれど、長田区にある小さな和菓子屋さんから、年に何度か、イベントの折にお菓子を注文する、という「すずめの涙」のような気持ちを寄せています。長田神社前商店街にある、本当に小さなお店「きねやさん」は、25年経って、とても大変な状況なのですが、なんとか店を続けています。二年前には、頼みのご主人を急に亡くされ、和菓子のレシピもわからないまま、できる範囲で店を続けてきています。長田神社の宮司をもじった神社のおみくじ入りの「グージーまんじゅう」を、私はいつも注文していたのですが、ご主人から作り方を教わっていなかったと、「グージーどら焼き」に挑戦したママさん。形が不揃いで、あんこがはみ出したりしていましたが、羽根木公園での雑居まつりで売ったら、大評判でした。「きねや」の松田さんに、17日の今日、電話してみました。声は元気そうでしたが、沈んでいる様子でした。長田も人が戻ってこない、なので商店もたち行かない。住民とのつながりがあってこその小さなお店はどんどん潰れて、スーパーマーケットができる。そんな25年間、きねやさんが存続しているのが奇跡のようです。ここにいくと、お年寄りが和菓子を一つ買って、店先でお茶をのんでおしゃべりしていく、そんな光景が見られます。人と人とのつながり。ああ、続けてほしいなあ、そう思うだけが、私の小さな神戸支援なのかもしれません。
 25年経って、表面的には、もう神戸は何も問題ない、ということなのでしょう。でもそれぞれの地域、一人一人のことを考えたら、問題は山積み。それは、きねやのママのつぶやきを聞くだけで伝わってきます。日本という国は、地についた人びとの営み、くらしのことはどうでもよくて、国をあげてのオリンピックですべてをわすれさせようとしているかのようです。福島のことを考えたら、なにがオリンピックですか?と疑問に思うのが当たり前。「神戸をわすれない」と、ずっと言い続けてきたのも、わすれさせようという勢力に対して、「ちがうだろう」と突きつけたいからなのかなあ・・・。
 33回目になる「神戸をわすれない」は、現在制作中の「鷹取・野田北部のいま」を観つつ、25年を振り返り、きちんと明日につなげる、という会にしたいと思っています。2月8日、5時半より、世田谷ボランティアセンター(三軒茶屋)で行います。映画のあとは、青池憲司監督と、早稲田大学大学院の佐藤滋教授によるトーク。首都圏直下型地震が起こる可能性は大です。神戸で25年間に培われてきたことを、どうこれからに活かすのか、誰もが学ばなくてはならないことと思います。どうぞ集ってください。

中村哲さんの無念さに私たちが応えるには

 あっという間に今年も幕を閉じる時期になってありましまいました。いろんなことがあった年でしたが、中村哲さんが撃たれて亡くなったというニュースに打ちひしがれています。あっていいはずがないことです。残念、無念でたまりません。もちろん一番無念だったのは、まだ20年は続ける、と決意していた中村さん自身だったでしょう。ふっと思い出して本棚の中から「医者、井戸を掘る」を取り出して表紙をめくると「星野弥生さんへ」とサインがありました。平成24年6月7日と書かれています。7年前、保坂展人さんとの対談もあった会で求めた本でした。例によって少し読んでからツンドクになっていた本、今頃になって引き込まれるように読んでいます。少しでも中村哲さんの側にいたい、そんな気持ちです。
 先週末、土日にあったいろいろな会でも必ず中村さんの話が出てきました。土曜日に、6月に続いて再び来日した(そう、その時は一週間、一緒に日本をどさ回りしていました)コスタリカのロベルト・サモラ弁護士の講演会があったのですが、その時に「安保法制違憲訴訟」について話をした弁護士の杉浦ひとみさんも中村さんの死を悼みました。日本は平和憲法を持っているからこそ、外国の人たちに信頼されてきました。武器を取らず、戦争はしない、と声高らかに9条で宣言されていることが何よりの安全保障のはずだったのです。戦闘の続く国にあっても中村さんが医療、そして農業用の井戸や水路の建設に丸腰で携わることができてきたのは、平和な国日本への信頼だったはずです。でも、4年前の9月19日に国会を取り巻く何万という人達の声をないがしろにして強行採決された「戦争法」施行以来、日本は軍隊を持つ「戦争ができる国」に事実上なってしまいました。中村さんがその犠牲になったのではないか、という悔しい思いがよぎりました。
 日曜日には「国際有機農業映画祭」が開かれました。午前中は去年も参加した等々力の大平さんのお宅の落ち葉掃きをしていたので、会場についたのは夕方になっていました。去年の映画祭で上映された「大平農園 401年目の四季」を、私が世田谷ボランティア協会で毎年企画・実行している「映画とワインの集い」でも上映したく、森信潤子監督、そして当主の大平美和子さんに会いに落ち葉掃きに参加してから、本当に400歳のけやきの木がそびえるお庭が大好きになりました。けやきに守られ、気持ちのいい一時でした。
 遅れて行った映画祭で、最後の二本を観たところで、中村哲さんを偲ぶ緊急特別企画として、ペシャワール会が制作し、映画祭でも過去に上映された「用水路が運ぶ恵みと平和(技術編)」が映し出されました。旱魃で砂漠と化した大地に、用水路を作り、豊かな緑の農地に変えた、という奇跡のような取り組みです。その工法が、江戸時代に福岡に築かれた朝倉の堰、三連の水車のやり方にヒントを得ているというのがなんとも素晴らしい。この映画を中村さんは多くの人に観てほしいと願っていたということです。
 映画の中で中村さんが語る言葉が沁みました。「人間は自然のあとから来たお客さんだから」「水を巡ってかつてあった争いが、水が得られればなくなる。人間らしい生活が回復されれば、地球のつながりができる。平和が保たれる」「技術、経済ではもう限界。自然に帰ることです」「武器を作ることと正反対のことをすれば、滅亡への道を避けられる」。 平和への道は、武器よりも食の保証であることがこんなにも見事に立証されている映画に本当に感動しました。
 中村さんは「医者、井戸を掘る」の「憂鬱の日本」と題する章で日本国憲法について語っています。「日本国憲法は世界に冠たるものである。それはもう昔ほどの精彩を放っていないかもしれぬ。だが国民が真剣にこれを遵守しようとしたことがあったろうか(…)『平和こそわが国是』という誇りは、自分の支えでもあった。ところが、日本全体が面妖な『西洋貴族』の群れと化すことによって、私は現地でも日本でも孤立感を覚え、内申忸怩たるものがあったのである。(…)平和憲法は世界の範たる理想である。これを敢えて壊つはタリバンに百倍する蛮行に他ならない。だが、これを単なる遺跡として守るだけであってもならぬ。それは日本国民を鼓舞する道義的力の源泉でなくてはならない。それが憲法というものであり、国家の礎である。祖先と先輩たちが、血と汗を流し、幾多の試行錯誤を経て獲得した成果を『古くさい非現実的な精神主義』と嘲笑し、日本の魂を売り渡してはならない。戦争以上の努力を傾けて平和を守れ、と言いたかったのである。」
 平和憲法の精神を実践し、武器ではなく、医療と農業によって人びとと大地の復興と再生を果たした中村さんの無念さに報いるために私たちがこころしなくてはならないのは、憲法に保障されている「平和」を守ること。武装することが国を守ることには決してならず、本当に国を守りたいと思ったら、9条の遵守を徹底して、武器によらない平和への道が一番の近道だ、そのことを真に教えてくれたのが中村さんの生き方だったと思います。

「地図から消される街」講演会のお知らせ など

 先日「こいのち通信」をコピペした中にも入っていたお知らせですが、朝日新聞記者の青木美希さんの講演会が明日(9月29日)にあります。タイトルの「地図から消される街」~3.11後の「言ってはならない真実」~」は、青木さんの本の題名です(講談社現代新書)。3.11以後、被災地を訪れ、被災者、県外避難者に話を聞き、激しい言葉ではなく、現実をそのままに語る青木さんの筆を通して、読む側には、あまりの理不尽さがひしひしと伝わってきます。除染は手抜きだらけで、フレコンバッグは積み上げられ、穴も開いているという現状を、「除染は完了したから帰還はOk」とはよくも言えるもの。子どもたちの健康、将来を心配して、敢えて避難をせざるを得なかった人たちに対して、帰らないのは非国民だと言わんばかりの対応。避難したものの、住宅、仕事の問題を抱え、子どもたちも大学をやめざるを得ない、という母親が自死に追い込まれる、という話は何度読んでも胸が締め付けられます。県外避難者に対する、住宅支援の打ち切りとは、なんという酷い仕打ちでしょうか。家も土地も仕事も家族すら、すべて奪われてしまった現実に目を向け、耳を傾けることなく、オリンピックへひた走るこの国に対する怒りを禁じえません。
 この夏、フランスとスイスでの気功講習会の折に、慣習となっている「福島の子どもたちの話」をする機会がありましたが、熱中症続出の酷暑の日本という気候条件に加え、福島がまだ復興からは程遠い状況にあることは、誰の目にも見ても、決してオリンピックを行える事態ではないことは明らかです。聖火が福島を起点とする、ということには誰もがビックリ。2020年の夏、日本に訪れることをボイコットしてほしい、と伝えました。ヨーロッパの国々で、少しでもそんな動きになったら、少しは一石を投じることになるでしょうか。オリンピックを行うためには、福島が安全でなくてはならないし、福島がもう帰還できる状態にあることを示したいがために、オリンピックを使うのではないか、とすら思えてきます。
 先日も、第四次(でしたっけ?)安倍内閣改造で就任したばかりの復興大臣が「自主避難者は担当外」と発言して問題になりました。どこまで無関心でいられるのか。明日は、実際に、家探しという切羽詰まった問題を抱えた避難者の方も見えます。本当に、現実を知っていただきたいです。青木さんを私に紹介してくれた保坂展人・世田谷区長も後半参加して、青木さんと対談することになっています。私たち区民がが福島の子どもたちのリフレッシュのために8年間続けてきている支援活動に対して、区の施設を提供してくれている世田谷なので、せめて、少しでも被災者、避難者に寄り添う体制が取れることを願っています。
 9月29日(日)1時半~4時半 宮坂区民センター大会議室に、どうぞご参集ください。

 このところ、青木美希さんの本をぜひ読んで!と事あるごとに勧めていますが、もう一冊、本の話。
 私がかれこれ5年くらいかけてなんとか形にした本が発刊しました。「ミニマムで学ぶことわざ」シリーズのスペイン語のものです(クレス出版)。私がことわざの本を書くなんて、誰も信じられないと思いますが、行きがかり上引受け、友人に助けられながらこぎつけました。一般的に言って、ことわざはなかなか興味深いものです。困ったり、辛くなったりした時に一言のことわざで、ああ、だれもそうなんだ、と気持ちが楽になったりします。100のスペインでよく使われることわざが、私たちの生活や人間関係のどこかを潤すことになったらいいなあ、と今は思っています。もし読んでみよう、と思われる方は、どこかで手に取ってみてくださいますよう。宣伝するのもおこがましいですが。
プロフィール

marzoh

Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

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