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沖縄に触れ、沖縄におもいを馳せた「文化の日」

 昨日は「文化の日」でしたね。文化勲章とか功労者とか、ほとんど興味ないですけれど、2日、3日とけっこう私なりの「文化」を味わいました。2日は農大の収穫祭で野菜を買い、午後は坐・高円寺で劇団態変の「ニライカナイ」を観ました。前にブログに書いたとおりですが、9月に烏山で「態変」の主宰者金満里さんと保坂さんとのトークがあり、すっかり金さんにハマり、公演に是非行こう、と決めました。金さんは三才の時にポリオに罹って以来、首から下が全身麻痺。「態変」の舞台に立つのは全員が障碍者です。しかも重度の。障碍をありのままに、と全員がレオタードで身体表現をします。2年前の「やまゆり園」の事件でいのちを失くした19人は他ならぬ「自分」だ、と自らも施設に閉じ込められていた経験をもつ金さんは感じ、名前も公表されず「19人」とくくられる一人ひとりの無念を振り払って、「ニライカナイ」の遥か向こうで「生き直したい」という思いを舞台にしました。障碍者は不自由だろうと、いわゆる「健常者」と言われる私たちは思いがちだけれど、「障碍者にとって障碍は当たり前のことなので不自由ではない」と金さんは言います。しかし、むしろ都会という「施設」に私たち「健常者」は閉じ込められているのではないか。どっちが不自由なのだろうか、と気付かされます。
 障碍者にとって「自然」は決して優しいものではなく、人を癒やしてくれるものではなく、厳しい「脅威」だ、と金さんは9月のトークで言いました。でも彼女が西表島で太古の森に一人でいた時に、大木にしがみつく小さな蟻の姿に自分という存在と同じものを見て、「宇宙には大も小もなく、それぞれが必死に生命の営みの活動をする。そう思えた時に大自然への脅威は消えた」と語っています。西表島でいわば「啓示を受け、ありのままの身体を表現しようとする道が始まります。公演のタイトルである「ニライカナイ」とは沖縄で「亡くなった人が生きている人と行ったり来たりする水平的な関係の死生観」を意味します。死者と生者という垂直な死生観とは違うものです。沖縄では亡くなって7年目にお墓から骨を取り出して洗骨の儀式をするといいます。メキシコでの大きなお祭りの日である「死者の日」は11月の1,2日。その日には生者と死者が交流をします。ニライカナイと同じですね。骸骨でまちが埋まり、人々は派手に仮装します。実際に見たことはないけれど、「フリーダ・カーロの遺品」の映画の翻訳をしている作業の時に、メキシコのオアハカでのお祭りの場面がたくさん出てきて度肝を抜かれました。行ってみたい! これってハロウィンの起源じゃないかな。11月2日という意味深い日(金さんの誕生日でもあります)にすごいものを見せていただきました。公演後のトークでの相方だった高橋源一郎さんは「態変の芝居は『粘菌』みたいなものじゃないか。粘菌は死なず、生と死の壁を超え、植物と動物の違いも超えている」と語りました。「19人は殺されたけれど死んではいない。『忘れない』と過去にする時に終わったことになってしまう」と金さん。あっちかこっちかではなく、境界を超える「越境」。私たちの生き方、生活の中でもっともっと考えていきたいなあ、と思ったことでした。
 そして昨日3日は、成城での「コスタリカの奇跡」の上映会で話をし、その後に中野で二日間行われている「チャランケまつり」に顔を出しました。今年で25年目になる沖縄とアイヌのお祭り。まつりを始めた張本人が友人でもあるので、中野でできなくなるかもしれない、と世田谷での可能性についての相談も受けてきたのですが、「チャランケは中野の宝」という理解ある区長にかわって継続できることになりました。本当によかった。チャランケとはアイヌの言葉で「話し合う行動行為」という意味。沖縄で「チャーランケー」とは「消してはいけない」。チャランケまつりでも「旗あげ」「旗おろし」という儀式、つまり天からカムイ(神)を降ろし、また上げるという儀式をします。文字通り、神と人が一つになる。これもニライカナイ、死者の日につながりますね。神を地上に下ろす儀式や保坂さんのトークなどに参加できなくて残念でしたが、友人と泡盛を飲みながらエイサーやアイヌの踊りを観ました。和光小学校の子どもたちも毎年ここで踊っています。和光の先生だった園田先生も実行委員会の中心メンバーで、久々にお会いしました。民意は「辺野古への移設には絶対反対」なのに、それを無視してゴリ押しで工事を強行しようとするヤマトの政府には「チャランケ」(対話)してもらわなくては困ります。楽しく、また考えることも多い二日間の「文化の日」でした。
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金満里さんの生き様と言葉にすっかり魅了されました。

 三ヶ月くらいのご無沙汰でしょうか。この間、ヨーローパで一ヶ月を過ごしたり、9月半ばに一週間、アイスランドに行ったり、と書くネタは数々あれどサボっています。アイスランド紀行を綴っておこうかなあ、と思っていたところ、昨日(9月29日)の集会があまりにインパクトがあったので、先にとどめておこうと思います。
 烏山区民会館での「相模原事件をあなたは覚えていますか? 障碍者と共に人間の価値を真から問い直す」と題する劇団「態変」の金満里さんと保坂展人さんのトークでした。広い会場なので、ぜひとも宣伝してほしい、との友人からの頼みでチラシをたくさん配布するお手伝いをするくらいでしたが、ものすごくいい会でした。その日まで知ることのなかった金さんに惚れ込みました。
 金さんは3歳の時にかかったポリオのために「障碍者」としての人生を送るようになります。そもそも人類は「人間になるために二足歩行をしたのだけれど、二足歩行は重力が下にいくので、当然出産時の胎児にも影響する。そのリスクを選んで人間は二足歩行へ道を歩んだのだから、障害と言われる人たちが生まれるのは人類全体の問題」そうか、障害を持って生まれた人たちは、人類の生きる難しさを背負って来てくれたのだ。そんなふうに気づくことが障碍者との共生につながるのかなあ、と思います。金さんの言う「障害そのものの身体性」、そのままでいい、ということ。それは障害を持った人に特化されることでもなく、「健常者」といわれる私たちにも伝えられるメッセージでもあります。
 相模原のやまゆり園で19人の障碍者は「私にかわって殺されてしまった。他人事ではなく、想像力を持てば今の自分に重なってきます。ここからは2つのことが見えてきます。感情としてわきあがってくる許せなさ。そして社会構造として社会的に見た象徴的な問題が」。19歳までを施設で過ごした金さんは「施設の中では何もしない、自分を実感できない。抗うとか憎むではなく、受け入れてしまう。そこまで人間性を奪われてしまう。これは今の社会そのものです。社会を脅かさない施設は都会的な構造です。都会の施設から太古の森へ脱出しなくてはなりません」そうか、都会の施設に閉じ込められている「健常者」は手足をもがれているのかもしれません。「態変」でからだの中からの感覚をありのままに表現する肉体の不自由さをかかえた人たちの方がよほど自由なのかもしれない。
 障碍者となった時から「はじかれて」きた金さんと、内申書裁判から社会をドロップアウトし人生を勝ちとった保坂さんとの対談もすごく面白かったです。保坂さんが言うように、衆議院議長公邸に犯人は手紙を届け、安倍首相にとりついでほしい、と言っているのだから、これは「国会で起きた事件」なのです。やまゆりの事件が起こったのは、ちょうど日本が戦争ができる国になり、生産性を上げる人材のみを求め、効率のいい人間だけが生き残ればいい、という宣伝にみんなが煽られている社会の中でした。そのいう社会の中で起こるべくして起こったとも言えます。なので国の長は一言もコメントせずに、事件は忘れ去られていく。忘れさせられていくのでしょうね。国にとって都合の悪いことはすべて。中学の卒業式に出さないために教師たちが少年保坂展人を教室で組み伏せていた時の「身体感覚はどうだった?」と金さんが問うと、「先生は『10年経ったら感謝することになるぞ』と言いました。でも会えば教師は目をそらせます。大人の作った仕組みから一旦排除されたのは気持ちいい部分もありました。大人への不信で、からだは緊張し、涙も封印していたけれど、放浪していた沖縄で70のおばあが軽やかに踊るのを見て涙が流れましたね」
 沖縄は人を解放させるのでしょう。今回の金さんの世田谷でのイベントは、11月2~4日の劇団態変の公演「ニライカナイ」に向けたもの。ニライカナイとは「亡くなった人が生きている人と行ったり来たりする水平的な関係の死生観」を意味します。死者と生者の垂直死生観とは違うものです。沖縄では亡くなって7年目にお墓から骨を取り出して洗骨の儀式をするといいます。
 期せずして、沖縄知事選の前の日に、金さんと保坂さんの話で沖縄がグッと近づいてきました。『ニライカナイ』11月2~4日、座・高円寺1で、14時と19時。おすすめします。私も行きます。昨日のトーク、そして金さんと親しくお話させていただいてすっかりその気になりました。都会の施設から太古の森を垣間見たい。
 今日は台風の中の沖縄知事選。玉城デニーさんの勝利を祈るばかりです。

ありのままがいい   前川喜平さんの講演から

気がついたら、本当に二ヶ月くらい何も書いていませんでした。ま、別の小さなメディアでは細々と綴り、書いていたつもりになっていました。6月24日に前川喜平さんを世田谷におよびしました。「世田谷こどもいのちのネットワーク」という弱小組織(といっても22年それこそ、細々と続けてきていますが)がよびかけて、区内のたくさんのグループや個人が「やろうよ」と声をあげ、世田谷区民会館ホールの1200席がいっぱいになりました。そこに到るまでの一ヶ月間、今思い返してもよくやったねえ、と自画自賛すると同時に、やっぱり前川さんの魅力だわ、ということを講演を聴きながらつくづく思ったことでした。政治も政府も「あったことをなかったことにする」ことが常識のようになっていて、それは憲法や法律を守る以前の、ひどく人間的なあたりまえのことなのに・・・。そんな時にごく「当たり前」のことを当然のこととして語る前川さんがとても爽やか、そんな日本なんですね、今。講演会のことは、その翌々日にすぐに「元気印通信」に書きました。通信には若干文字数の関係で省かれた部分もあるので、その報告をブロクに書くことで、まだ続けていることの意思表示にしたいと思います。本当は書くこと、毎日やまほどあるなあ、と思いつつ。だって、この猛暑、そして西日本の大水害、そんな時にわけのわからないカジノ法案をゴリ押しで通す。猛暑、洪水、台風と次々に襲う日本の真夏に二年後にオリンピックを強行して、誰が来るのだろうか、と思ってしまいます。選手のいのちはどうなるのだろう、とも。
 明日からスペインへのツアーです。北スペインとベンポスタを訪れるツアー、18年間細々とやってきましたが、今年は私も含めて20人! これまでで最大規模です。修学旅行みたいね、などと友人から言われています。朝と夜の涼しさが嬉しいです。また書きます。とりあえず、前川さん講演報告を。

「ありのまま」がいい  前川喜平さん講演会とトーク「あったことをなかったことにはできない」。しごくまっとうなふつうの人間の感覚です。その発言が前川喜平さんを「時の人」にしました。「『総理のご意向』『官邸の最高レベル』などと、行政が歪められています。国民には知る権利があります。意を決して告発したわけではなく、成り行き上のことです」と前川さん。官邸とつながったメディアによる前川さんに対する人権攻撃に「かえってやる気を起こしてしまい、記者会見を行いました」。現職にある役人の手口は「うそはつかないけれど、本当のことは言わない」というもの。「朝ごはんたべた?」「食べてない。パンは食べたけど」という今流行りの「朝ごはん論争」のような。文科省事務次官を辞めたのちは国会参考人としてありのままにしゃべれたと言います。「国民の知る権利を行使し、ありのままに気楽に生きた方がいい。言えないことをかかえ、うそで固めて生きるのはしんどいものです。これからは憲法21条の「表現の自由」を使い切っていきます。」と38年間の公務員生活を終えて爽快な気分の前川さんです。
 講演会のタイトル「こども・いのち・きぼう」には、「教育行政の現場から”学び”の現場へ」とのサブタイトルが付されています。「教育行政の現場は楽しいことではなく、生き生きとしていける現場を作るという教育を支える仕事です。教育の条件整備の黒子、縁の下の力持ちです。人間の感動が溢れている現場で日々暮らしている先生が羨ましい、と嫉妬していました。現場がなければ成り立たないのが教育行政です」
 前川さんは現在厚木と福島の自主夜間学校でボランティアの講師をし、あこがれの「現場』にいます。「夜間中学は全国に31校だけ。四国には一つもなく、四国にないのは獣医学部だけではないんです」形式的にでも中学を卒業してしまうと夜間中学に入れなかった人たちに門戸を開いてほしい、という要望が3年前に叶いました。またフリースクール議員連盟が超党派で作られ、2016年に「教育機会確保法」が成立することになりました。在職中に前川さんが推進してきた改革でした。「38年間、憲法26条(すべての国民は教育を受ける権利を有する)をいつも念頭において仕事をしていました。」という前川さんですが、憲法の規定通りに現実は動いていません。「無償の普通教育とは、まっとうな大人になるための必要な教育です。人は”学ぶ”ことにより大人になります」。前川さんのいう”学び”は学校だけではなく、ひょっこりひょうたん島に出てくるような「人間らしい人間になるための学び」なのです。夜間中学でのボランティアは「ある種の罪滅ぼし」とおっしゃいますが、「これまで文科省が放ったらかしにしてきた部門について、微力ながらお役に立ちたい」というのが心根なのでしょう。
 1時間半の講演会は歌や俳句も披露され、大きな拍手と笑いに溢れました。第二部では「子育てママ」「大学生」「学校の先生」とそれぞれの立場の三名が前川さんに質問を投げかけ、最後は保坂区長が加わって「世田谷の教育のきぼう」を語りました。「前川さんの信じることを行動する勇気はどうしたら身につくか。子どもにわかる言葉で語ってください」とのママからの難問に対して、前川さんは前列の子どもたちに向かって「自分が正しいと思うことをする。ありのままの自分はこれでいい。自分はダメな人間だと思う必要は全然ない。勇気はそんなに必要ないんだよ。言ってもわからない人には、ウーン、呪文を唱える。わかったかい?」と語りかけました。「若い人たちには私たちが決めるという意識が希薄です。自分が社会の一員であるという意識は大事だと思う。今の日本の教育に何が必要なんでしょう?」と大学生が問えば「子どもたちが自分たちの世界を築き、自立、自治を行うには、大人が子どもに任せ、子どもを信頼すること。先生は子どもを信じること。大人はどこかで見守っていればいい」と、「あんたの息子を信じなさい♪」と歌い出す前川さん。先生からは「道徳の教科化」への懸念が語られ、「自由に教育するための抜け道は?」と求められた前川さんは「教科になり教科書使用が義務になるのは厄介です。国語や算数とは違い、数値化はできない。個人の中の変化を評価するなんてミッション・インポッシブル!深刻に考えず、褒めてあげるところを一つ見つけてあげればいいのでは」「正解のないことを考えるのが大事です」と、道徳の教材になっている「星野君の二塁打」のお話を。監督がバントのサインをしたのに打てる予感がして二塁打を放ち、勝利に導いたのに、監督の指示に従わなかったことを星野くんは咎められる、という話です。「監督の言うことをすべて聞け、となったら日本中が日大アメフト部になります。そのまま「きまりは守りましょう」と結論に持っていってはあぶない。自分が監督なら、星野君ならどうするか、と「解」のないことを考え工夫してください」
 保坂区長は「未完成な法律を実体化していくのは自治体の役目。公設民営のフリースクールを2月に開設します」と、世田谷の教育の希望を語りました。世田谷在住でもある前川さんが世田谷の「こどもの現場」「学校の現場」にたくさんのヒントをこれからも与えてくださることを期待したいと思います。快く講演を引き受けてくださった前川さん、一ヶ月を切る講演までの期間、信じられないほどのパワーを発揮してくれたたくさんの実行委員会の仲間に本当に感謝です。そして「待ってました!楽しみにしています!」と足を運んでくださったたくさんのみなさまへ、ありがとう!

さまざまなイベント。 「コスタリカの奇跡」 「まだ見ぬまちへ」そして前川喜平さんの講演会

一週間前の、「コスタリカに学ぶ会」に津田大介さんをおよびしておこなった「子どもを主権者にしよう」というワークショップ、福島のいわき市から直行で駆けつけてくださった津田さんの、ぶっつけ本番ながらのみごとなコーディネーションで、すごく示唆に富んだ、面白いものとなりました。参加してもらった子どもたちの、「いやだ!」と思うこと。それは、塩のかかっていないゆで卵であったり、本を読みたいのに宿題をしなくてはならなかったり、いじめられている友達のことだったり、戦争が世界のどこかで起こっていることだったり。それはさまざまなのですが、一つ一つの「いやだ!」を、周りの大人たちが真剣に考え、こうしたら?と意見をいい、その子の「いや」に寄り添っていく、ということにものすごい大きな意味があるのだ、ということをあらためて感じました。そうやって、子どもの気持ちを、「何いってんの?」ではなくて、「うんうん、そういう気持ち、わかるよね」と一緒に考える、そういうことが日々あったとしたら、自分のことを考えてくれる大人がいるんだ、ということを子どもが感じられるとしたら、その子は、自分の思うことを言っていいんだ、とすこし楽な気持ちになれるでしょうね。そういう子どもへのまなざしがあって、子どもが「自分で決めていいんだ」それが、「主権ということなんだ」ということにつながるのではないか、と。なにも、難しいことを子どもにわからせようというのではなく、こんな日々の子どもの言葉を、どう大人たちが受け止めるのか、それがこどもへの「主権者教育」への基本だなあ、と改めて思います。
 さて、これからもお誘いしたい、一緒に取り組んでいただきたいイベントが続々です。近々のところから。明後日。27日、「コスタリカの奇跡』の映画を観る会が、武蔵境で開かれます。この映画は今とても評判になっている映画で、メディアにも大きく取り上げられています。憲法9条が危うくなっている今、戦後72年間、9条のおかげで少なくとも戦争によって人を殺し殺されるということがなかった日本、その国が自衛隊を軍隊にし、戦争への道を歩んでいきそうなとんでもない状況になってしまうかもしれない時に、「軍隊を捨てて」平和国家を作っている国のことを、理想ではなく、事実としてとらえることは大きな意味がある、と多くの人たちが思うからこそ、この映画に光が当たっているのでしょう。今各地で上映会が開催されていますが、27日は、私がちょっとお話をすることになっています。何を話すの? とちょっと不安もありますが、「軍隊を捨てたコスタリカに学び平和をつくる会」に設立当初から関わってきて、コスタリカからおよびした方々やコスタリカの大使との通訳を通じての付き合いから見えたことなどを少しでも語れればと思っています。
 「コスタリカの奇跡」~積極的平和国家のつくり方~ 5月27日(日)13時40分開演
 武蔵野プレイス4Fフォーラム(JR中央線武蔵境駅南口前)

時を同じくしますが、今年の「神戸をわすれない」で上映した青池憲司監督の「まだ見ぬまちへ」が、今日から日曜日まで大塚で上映されます。すごくいい映画なので、まだ見ぬ方はぜひ見て下さい。

◎『まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語~』上映のお知らせ
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻市門脇・南浜・雲雀野地区。被災直後から寄り合って暮しはじめた人びとが、失われた地に「新しいコミュニティ」をつくりだすプロセスを6年半にわたって見つめた長篇ドキュメンタリー映画。
【映画とトーク/震災後の暮しがつくるコミュニティのかたち】
今回の上映会では、石巻で住民に寄り添って「まちづくり」をすすめる専門家と、被災地の「こども=保育」に注目するジャーナリストの参加を得て、震災後のコミュニティの新たな展開を考えます。
日時=5月25日(金)~27日(日)
会場=シネマハウス大塚(JR山手線「大塚駅」北口から7分
   http://cinemahouseotsuka.com/access/
料金=一般1,500円 学生1,000円 高校生以下500円
主催=映画「まだ見ぬまちへ」の会
   https://aoikegumi.shinsaihatsu.com/madaminumachie/
   FB:https://www.facebook.com/aoikegumi/?ref=bookmarks
   Eメール:aobeka2@kfy.biglobe.ne.jp
5月25日(金)
 1回目=14:45開場/15:00~17:25上映
     17:30~18:10トーク 真野洋介(東京工業大学 環境・社会理工学院 准教授)
               青池憲司(本作品監督)
 2回目=18:45 開場/19:00~21:25上映
     トーク(20分)参加者+青池憲司(本作品監督)
5月26日(土)
 1回目=14:45開場/15:00~17:25上映
     17:30~18:10トーク 猪熊弘子(ジャーナリスト)+青池憲司(本作品監督)
 2回目=18:45 開場/19:00~21:25 上映
     トーク(20分)参加者+青池憲司(本作品監督)
5月27日(日)
    14:30開場/14:45~17:10上映
    トーク(20分)参加者+青池憲司(本作品監督)

実は、ビッグなイベントが一ヶ月後にあります。あの「時の人」前川喜平さんを世田谷におよびする、という催しです。
「こども・いのち・きぼう」~教育行政の現場から、”学び”の現場へ~
6月24日(日)13時から~  世田谷区民会館にて。追って詳細はお知らせします。

津田大介さんと、子どもたちと学ぶ「私たちは主権者」 

間際にならないと書かないブログです。明日、「コスタリカに学ぶ会」の総会があり、その記念イベントで、とっても面白い企画があります。コスタリカに学び、私たちが生きている日本で平和をどうつくっていくか、というのが、この会の主旨なのですが、だいたい常日頃、集うのは、戦争を知り、絶対に平和の世の中にしなくてはね、と思っている世代が大半。でも、これからの日本を作り、背負っていくのは、若い人たち、そして子どもたち。その世代に私たちは何を伝えていくべきなのか、というのが、このところの課題です。「教育」の成果が功を奏しているのか、今の子どもたちは、憲法をきっちり学ぶこともなく、自らが「この国の行く末を左右できる」主権者であるということを学ぶこともなく、選挙権だけでは持たされている、という状況にあるのではないでしょうか。この国をどうしていくのか、そこに関われることができるんだよ、ということを一人ひとりに知ってほしい。あなたの意志、あなたの一票が世の中を変えることも在りえるんだよ、ということを知ってほしい、と。
 で、そういう意図にピッタリの5月20日のイベントのお誘いです。津田大介さんがコーディネーターとして参加してくれる、という、そのことだけとっても、絶対にオモシロイよ、と言いたいです。

 ★津田大介さんと「子どもたちと学ぶ『私たちは主権者』」。
 日時 5月20日(日) 13時半~16時半(開場 13時)
 場所 文京区男女平等センター (地下鉄 本郷三丁目下車7分)
 資料代 500円 (子どもは無料)

つだっちがコーディネーターをつとめ、どういうふうにさばいていくのか、楽しみです。こんなワークショップが全国のいとんなところでなされて、子どもたちに、自分たちの国のことは自分たちで決めていいんだ、という当たり前のことを知ることができたら、と私は大いに明日の試みを楽しみにしています。
プロフィール

marzoh

Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

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