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世田谷の疎開児童と特攻隊の若者との出会い

「世田谷の疎開学童と特攻隊」。昨日下北沢の都民教会で開かれた「戦争経験を聴く会・語る会」はとても興味深いものでした。世田谷ボランティア協会の情報誌「セボネ」(セタガヤ・ボランティア・ネットワーク)の取材で「北沢川文化遺産保存の会」のきむらけんさんにお会いした時に、この集会のことを知り、面白そうだなあと思って、ずいぶん宣伝もしました。世田谷区の7つの小学校の生徒が疎開先の信州の浅間温泉で特攻隊の若者たちと会っていた、という史実があったのです。北沢川文化遺産保存の会の事務局は、代沢にある「邪宗門」という喫茶店。近くの代沢小学校もその小学校の一つでした。
 今回8回目となるこの会は、戦争体験者の肉声を聴いて、戦争とはなにかを知り、平和の豊かさを認識するために、1945年5月24~25日にこの一帯を襲った山手大空襲を記憶しようと毎年この時期に開かれています。冒頭の基調報告の中で、きむらさんは「体験者から学んだことは、戦争は始まったら終わらないということ。戦争をやめようと言わなくなり、人間を人間と思わなくなり、人間が武器の代わりに使われてしまう、ということです。」と語りました。今のような、平和が脅かされ、再び戦争の出来る国にしようという空気が漂う時代だからこそ、直接の声を伝え、受け止めることがいつにもまして大切なこと、とつくづく思います。
 昨日の会は、浅間温泉に疎開をした、現在82,83才くらいの方が疎開の辛かった経験を語り、特攻隊との出会いを語るというものでしたが、特攻隊の若者たちが沖縄に向かって飛び立つ前の日に、子どもたちの前で歌った歌が再現される、というサプライズがありました。東大原小学校の百数十名の女子児童の前で、特攻隊(武揚隊)の15人が別れの歌として歌ったその歌には、郷愁、慕情とともに、平和への願いが込められている、というのが驚きです。たった一晩消えるはずだったものが、疎開児童だった秋元さんが歌詞、メロディーを記憶しておられたおかげで、よみがえったのです。
 秋元さんが記憶の中の歌詞を歌い、プロの作曲家の明石さんが「浅間温泉望郷の歌」として復元し、ピアノを弾きながら朗々と歌った歌には、「世界平和が来ましたならば 愛し懐かし日の本へ 帰りゃ真っ直ぐ浅間をめざし 私しゃ行きます富貴の湯へ」とあります。女の子たちが渡したお人形を乗せた飛行機で沖縄に赴き、帰ることない、とわかっていた若者が「世界平和」を願っていた・・・。真っ先に行くのは、「靖国」ではなく浅間温泉・・・。切ない思いがにじみ出ています。
 戦争の中では、替え歌がよくつくられていたので、これには「元歌」があるはず、と追求された方がいて、真珠湾攻撃の一週間前にリリースされた「パイロット小唄」にたどりついた、というのも面白い話です。この歌をめぐって、記憶していた元疎開児童の秋元さん、復元した作曲家の明石さん、元歌を見つけ出した木村さんが一堂に会して歌を初公開した場に同席でき、本当に感動でした。この歌から見えてくる戦争の話を、戦争を知らない世代にぜひ伝えたい、邪宗門で美味しい珈琲をきむらけんさんたちといただきながら、そんな思いにかられた日でした。
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Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

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