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「19人・・それぞれのいのち」が私たちに問いかけるもの 「やまゆり園」事件を考える学習会が22日にあります。

長いこと楽しませてくれた今年の桜も、ようやく葉を見せるようになりました。3月22日から一週間、娘の結婚式をするために家族がスペインを旅してきました。出発前日に開花宣言。日本もスペインも同じように寒かったり、雨だったりの日々、桜は十分にもってくれ、福島のこどもたちと砧公園でお花見をした時には、まだ三分咲きでした。桜のせいではないですけれど、私のブログも随分長いことご無沙汰です。
 「世田谷こどもいのちのネットワーク」で懸案だった学習会が4月22日にあります。ずっとのどに引っかかっていた骨のように、いつかは、それもなるべく早い時期に取り上げたいと思っていた「相模原事件」。この事件が起きた7月26日、私はこのニュースをスペインで知りました。スペインでは朝のうちはずっとニュースが続けて流されるので、日本、19人、障がい者・・・などという言葉を何度も聞かされ、本当? 聞き間違いでは、と思いましたが、そうではなかったことを思い知らされました。
 この事件をいったいどう考えたらいいのか・・・。答えに窮します。「障がい者の人権が大切」などというだけでは済まされません。そんな時、10月に岩波ブックレットから保坂展人さんの「相模原事件とヘイトクライム」が出版されました。この本を読んだ多くの友人たちから、「ぜひ、世田谷で保坂さんをよんで講演会をしてほしい」との声が聞かれました。誰もが、考える手がかりを模索しているようでした。
 「障害を持った人を抹殺する」ことは、アウシュビッツに遡って「T4作戦」としてドイツで現実化されていたことが書かれています。帯には「奪ってもいい命など存在しないーー優生思想の罠に囚われないために、今私たちがなすべきこと」と。障害を持ったひとが社会の役に立たず、お金の無駄使いなのだから、抹殺していいのだ、という考えは極端なように見えるけれど、「社会の役にたたない」「経済活動に貢献しない」「税金の無駄遣いになっている」人たちを排除するとしたら、まず、私たちだって老いていけば必ず対象になります。だれもが「抹殺」の対象になってしまう。新自由主義的な「効率が第一」という原理からすれば、「排除」される人は山ほどいます。石原慎太郎元都知事が障がい者の施設を訪れて、「この人たちに人格はあるのかね」と本心で訊ねた、という話も記憶に新しいはず。そう、経済効率が優先される社会は、優生思想と隣合わせともいえるでしょう。
 「こどもいのちのネットワーク」(こいのち)の学習会のタイトルは、「19人・・・それぞれのいのちが、私たちに語りかけるもの」としました。名前を公表せず、19人と一括りにしてしまうことの理不尽さを思います。生を奪われたのは「19人」ではなく、一人ひとりのいのち×19、なのです。
 今回、2001年から2005年までやまゆり園に勤務され、19人のうち7人の方を担当されたという西角純志さん(現在は専修大学兼任講師)にに話をしていただくことになりました。「19人全員の生きた証を残すことが、植松容疑者の主張へのアンチテーゼになるはず」と、それぞれの方々の生前の様子の記録を作成されています。
 そして、重度の脳性麻痺のため24時間介護を受けながら、世田谷で自立生活を送り、障がい者解放の運動に深く関わる「HANDS世田谷」理事長の横山晃久さん、世田谷区長の保坂展人さんが加わり、「今私たちがなすべきこと」を共に考えあっていきたいと思っています。

今、辺見庸さんの「1★9★3★7」を読み、日本、そして日本人の「摩訶不思議」な今の有り様、思考形態を解くヒントを見つけた思いです。早く読み終えたいのと、終えるのをまだ待ちたいような気持ちと・・・。もう数ページで終わってしまいます。今、会う人ごとに「絶対に読んで!」と勧めています。
 「やまゆり園」の19人、という伝え方とまさにかぶっているのが、戦争の時の死者を数でしか表現しないやり方。辺見さんが一番言いたかったのは、このことなのではないか、と思えます。1937は、南京大虐殺が起こった年のこと。辺見さんはご自分のお父さんが、語ることはなかったけれど、やっぱり「殺った」のではないだろうかと推察し、「一人の人間がどう関わったのか」という視点から、とてつもない大きな事件を見ていきます。殺戮した側も「個人」でやったのではなく、「天皇の軍」(皇軍)としてやったのであり、された側は、一人一人でなく「何百」「何千」「何万」、ものとして当然のように殺された。大虐殺の事実は、そうして「戦争だからやむを得ない、当たり前のこと」とされ、殺されても塊のほんのひとかけら。辺見さんの本の中には、堀田善衞の「時間」という、彼が一人の中国人になって語るような小説のことがたくさん出てきます。本の「終章」でもその一部が引用されています。
 『何百人という人が死んでいるーしかしなんという無意味な言葉だろう。数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を、黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない。一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人、この2つの数え方の間には、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある・・・。』(堀田善衛「時間」) 大切なのはこの視点だ、とまさに思います。震災が起きれば、何千人の死、と伝えられます。ビートたけしが、阪神大震災の死者のことを、「5000人の死なのではなく、1人の死が5000あったということ」と言った言葉がずっと忘れらないで、「神戸をわすれない」という会を私は続けてきています。そう、その視点がなければ、どれも他人事なのです。日本人が今のように「だらしなく」なってきているワケの鍵がその辺にありそう。そのことが、22日の会でもきっと語られることになるのでしょう。
ぜひご参集ください。

「19人・・・それぞれのいのち」ーやまゆり園事件を考える
 4月22日(土) 14時~17時
 太子堂まちづくりセンター 2F (東急田園都市線・世田谷線 三軒茶屋下車4分)
 プログラム 
  西角純志さんからの報告
  西角純志さん・横山晃久さん・保坂展人さんによる鼎談
  会場とのやりとり。
 資料代  500円
 連絡先:星野弥生 03-3427-8447 marzoh@gmail.com
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プロフィール

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Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

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