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 映画とワインの集い 「からっ風が知っている~こころみ学園ものがたり」 

 書きたいこと、言いたいことは山々あれど、いざ書こうとなると「映画」の話になってしまいます。映画は何かを伝える最良の手段と思っています。映像の訴える力はとても大きい。だから私も「神戸」のことを伝えたくて、22年間「映像のちから」を借りて「神戸をわすれない」会を開催してきました。
 1月27日の第31回目の会で「まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語~」を上映しましたが、おかげさまで多くの方に来ていただきました。毎年必ずというご常連にお会いできるのも嬉しいことです。当日の毎日新聞に結構大きくとりあげていただきました。数年前に取材を受けた時の記者さんがなんと孫娘の幼稚園のお友達のお父さんだったことが最近判明! 間際に連絡して電話取材で書いていただきましたが、当日の参加者第一号が「新聞で見てきました」という方でした。始まる少し前に、黒田福美さんから電話。世田谷にお住まいだった以前はだいたい毎回足を運んでくださっていましたが、お母様の介護もあり引っ越され、だいぶ途絶えていたところだったので、「行けることになったので」と聞いてものすごく嬉しかったです。彼女は、この映画でナレーションを担当。神戸の時からずっと被災者に寄り添いながら、できる支援を続けてきた彼女ならではの気持ちのこもった優しい声です。本当に、いろんな人に支えられて、私も続けてこられているのだ、大勢の人たちと一緒に作ってきているのだ、と毎回思わされています。
 さて、また「映画」の話です。年中行事として「神戸をわすれない」の他にもう一つ「首謀者」になって企画・実行しているのが、「映画とワインのつどい」。世田谷ボランティア協会で私が言い出しっぺになって始めたのがもう10年以上前になるでしょうか。その時の映画が「からっ風が知っている~こころみ学園ものがたり~」でした。私の40年以上になる近所付き合いの仲良し、馬場民子さんがプロデュースしたもので、2004年の完成までに6年もかけた作品。まるで醸成されたワインのようですね。撮影のプロセスもよく聞いていたし、なによりも「こころみ学園」で作られる「こころみワイン」の美味しさは私の周りではとっくに承知、でした。ボランティア協会の中途障害者の施設「ふらっと」では、イベントになると必ずこのワインを販売していました。そんなこんなで、第一回上映作品は、こころみワインを飲みながら「こころみ学園」の知り、知的障害の人たちのくらしや生き方にふれよう、とこの映画に決めたのです。その後、毎年私も監督や作品に縁のある珠玉のドキュメンタリー映画を上映してきましたが、いつも傍らには「こころみワイン」そして私の手料理があるという美味しい会でもあります。
 今回この映画を再び、と思ったのは、一昨年の夏に起こった「相模原の事件」です。「障害者は生きていても価値がないから」と事件の犯人は以前から企てていた犯行の動機を述べています。そういえば同じことをかつて障害者の施設を視察して言った前都知事もいましたね。それに対して、「津久井やまゆり園」で犠牲になった19人、と一括りにするのではなく、19の1つ1つのいのちが失わされたのだ、と犠牲者一人ひとりの人となりを聞き歩き、「かけがえのない」いのちを記録してこられたのが元職員の西角純志さん。西角さんを昨年4月に「世田谷にこどもいのちのネットワーク」でおよびして、保坂区長、障害当事者の横山晃久さんと鼎談していただきました。一人ひとりにしかないそれぞれの「生」。そこに私たちは立ち戻らなくてはならないでしょう。今「こころみ学園」はそのことを改めて教えてくれるようです。入居者が固有名詞で語られ、生まれた時からの個人の歴史、家族とのかかわり、仲間との助け合いのようすが描かれます。一人ひとりの表情、ことばがすてきです。久しぶりに、映像チェックのつもりで見始めたら、もう釘付けになって最後まで見てしまいました。やっぱり、共に生きる、ってこういうことなんだ、と心底うなずきたくなります。
 多くの方に観てほしい、という気持ちが募り、お誘いします。

映画とワインのつどい presents
からっ風が知っている こころみ学園物語
ボランティア協会の「映画とワインのつどい」「エテ・マルシェ」などで大好評の『こころみワイン』。栃木県足利市の山裾にワイナリーを持つ、知的障害者の福祉施設〈こころみ学園〉でつくられています。傾斜38°の斜面をはいつくばり、ぶどう畑や椎茸の原木を相手に働くことによって、知的障害の人たちの心と身体は育まれていきます。その生活を描くこの映画は、知的障害者の施設のあり方を示唆するものでもあります。こころみワインと手料理を楽しみながら、映画と監督のお話に目と耳を傾けましょう。

日  時:2018年2月18日(日)15時30分から
場  所:世田谷ボランティア協会 二階第一・第二会議室
(世田谷区下馬2-20-14 パーム下馬 三軒茶屋駅より徒歩10分)

プログラム:「からっ風が知っている~こころみ学園物語」上映
      藤沢勇夫監督のお話
飲んで食べて話をしよう!

参加費:会員1,000円 一般1,500円
ワインまたはジュース1杯と手作りの軽食付き
(飲み物は別料金で飲めます。〉

お申込:お名前、参加人数、電話番号を
下記までお知らせ下さい。
電話:03(5712)5101 FAX:03(3410)3811
e-mail:sasaerukai@otagaisama.or.jp

「まだ見ぬまちへ」を観に、「神戸をわすれない」に来て下さい

 明後日(1月27日)に「神戸をわすれない」で上映する『まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語~』の東京での特別お披露目上映会が昨日開かれ、行ってきました。青池監督と「いしのまき 記録映画づくりを応援する会」代表の加藤さんからの挨拶に続き上映開始。2時間半があっという間に過ぎました。門脇小学校を中心にして子どもたちや地域の人たちの復興に向けたようすを描いた前二作「3.11を生きて」「津波のあとの時間割」に続く第三作目、というイメージでしたが、全く外れました。
 津波がすべてを呑み込み、ガレキの山と化した石巻市門脇・南浜・雲雀野地区。学校の子どもたちが近隣の人たちがみんなで「上へ、上へ!」と必死で登った日和山の裾野にあった23世帯(60人)がかろうじて残り、そこで新たなコミュニティを作っていく6年間のプロセスがとてもていねいに描かれています。神戸長田区の野田北部・鷹取の復興のようすを記録した14作の「人間のまち~野田北部・鷹取の人びと」はまさに「復興まちづくり」の記録であり、記憶でしたが、監督も言うように、この作品では復興まちづくりという言葉がほとんど使われていません。「一直線のまちづくりが神戸でしたが、石巻でのまちづくりは決してストレートではなく、らせん状で紆余曲折を辿ってきました」と監督。まちづくりストーリーではなく、6年間の暮らしの日々が描かれています。
 ガレキの野原が、何もない更地になり、3.11前には見えなかった海岸線がくっきりと見えていたところに、次第に家や復興住宅が建ち、再び海が見えなくなるという環境の変化、それに添うように小さなコミュニティが少しずつ進化していきます。仮設住宅から復興住宅に移ってくる人、避難先から家を建てて戻る家族、3人しかいなかった子どもがだんだんに増えていく・・・。描かれているのは日常なのに、次は何が起こるのか、なんだかワクワクしてしまいます。古くからあるお地蔵さん、生き残った松の木のかたわらに佇むお稲荷さんなどは人びとが集まる場所。毎年3月11日2時46分にはここに集まり、犠牲になった人びとに祈りを捧げます。塩害でほとんど枯れている松の木の下から若い芽が芽吹きます。更地になった後の湿原にはメダカが泳いでいましたが、建物が建つにつれて汚染も広がります。そんなディテールもプロセスの中にそこここに見られ、名カメラマンの一ノ瀬正史さんの目はさすが!と感動。夏祭りや餅つきが地域をつなぎ、お年寄りや子どもたちを周囲があたたかく見守り、支えているようすは、ここなら移り住んでいってもすぐに受け入れられそう、という安心感を覚えます。移り変わる周りの風景がなければ、被災地でないどこかのコミュニティの物語かと錯覚しそうです。もちろん津波あってのコミュニティなのですが、私たちの日常に十分通用する普遍的な物語でもあります。
 語りが黒田福美さん。「神戸をわすれない」の伴走者でもある福美さんの声がコミュニティ、人間関係のあったかさを伝えます。いつも会で配る長田神社前商店街のぐージー饅頭も、元をただせば福美さんが神社前商店街で展開したボランティア活動に端を発します。ここでも神戸と石巻がつながりました。

「神戸をわすれない」ぜひ来て下さい。東京ではこの日が一般へのお披露目となりますので。映画上映と青池憲司監督のお話です。

第31回 神戸をわすれない
「まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語~」

とき:2018年1月27日(土) 午後6時00分~9時30分
ところ:世田谷区立総合福祉センター三階
(小田急線梅ヶ丘北口・豪徳寺徒歩5分)

私たちの生き方が根本から問い直された日、2011年3月11日から7年の歳月が経とうとしています。1995年の阪神大震災の1年後から、長田区の野田北部・鷹取地区を定点に、まちと人びとの再生のようすを記録し続けてきた「青池組」に伴走しながら世田谷の地で「神戸をわすれない!」と言い続けて、地域の中での平時の人と人との関係づくりがまちづくりにどんなに大切であるかを、神戸の体験からから学ばせてもらってきました。いつやってくるかわからない首都直下型地震に備えなくてはならない私たちにとって、学びは貴重な財産です。
青池組は、3.11のあと、津波で壊滅的被害を受けた石巻の門脇小学校を中心に、とくに地域の中でのこどもたちの再生への歩みを撮り続け、「津波のあとの時間割」「3月11日を生きて」を発表してきました。「神戸をわすれない」でも、これまで映画を観て「震災とこどもたち」をテーマにゲストのトークとともに考える会を開催してきました。待たれていた第三作目「まだ見ぬまちへ」が、ついに先ごろ完成。石巻でのお披露目を経て、1月には東京にやってきます。世田谷での上映会が初回になります。「人とコミュニティの再生」は、野田北部・鷹取での「記憶」映画作りに始まり、青池組の永遠のテーマです。ひとたび失われた地域社会に代わる新しいコミュニティつくりのプロセスを6年半にわたって撮り続けてきたドキュメンタリー映画を観て、日本のどの地域でも課題となっているコミュニティづくりの取り組みを共に考え合いたいと思います。監督はもちろん青池憲司さん、そして編集はいつもの村本勝さん、ナレーションがこの会の「同志」黒田福美さん、というのが嬉しいですね。映画が2時間半と、いつもより長いので、今回は映画鑑賞をメインに、青池さんのお話、参加者との対話で構成しようかと思っています。

この会では毎度おなじみの、長田神社前商店街のきねやさんの「グージーまんじゅう」も待っています。おみくじつきのおまんじゅうで、新しい年の幸運をゲットしてください。お待ちしています。
   (神戸をわすれない・せたがや  星野弥生)

23年、神戸をわすれない!

 しばらく書くのをサボっていたら、あっという間に年が明け、2018年!正月が終わり、15、16日の、これは絶対に外せない地元での大イベント、世田谷のボロ市が終わり、フーっと息をついたら、今日は忘れもしない1.17でした。5時46分に黙祷をしようと思って寝ましたが起きられませんでした。不覚! 震災後何年間かは、神戸に行けなくてもろうそくをともした羽根木のプレーパークで思いを共にしたり、家でもベッドの上で正座して黙祷したりなんて殊勝だったのですが、最近ダメですねえ。あっという間に23年が経ってしまいました。「神戸をわすれない」と言い続けている私としては、この日はやっぱり特別です。東京のメディアではほとんど忘れ去られていますが・・。とりあえず、長田の神社前商店街の小さな和菓子屋さんの「きねや」さんに電話しました。「今日は、みんなにおぜんざいを振るまっているんですよ。」という声。23年経って、まちに住民が戻ってこない、周りの店はなくなり、大型スーパーがはばをきかせる、と、店の存続はいつも危ぶまれていますが、年に二度は「グージー饅頭」を世田谷に取り寄せて、味わってもらったり、買ってもらったりして、「雀の涙」のような何の足しにもならない支援をしています。支援じゃないな、きねやさんがなくなったら神戸がなくなってしまう、くらいな気持ちです。
 夜には、灘の友人、誕生日が一日しか違わない「同志」の森末さんに電話。なんだか落ち着かないこの日をやり過ごすには、やっぱり神戸の友人とつながるのが一番。私は被災した友人を何人も神戸に持っているだけの話で、彼らの気持ちに添うことなんかこれっぽっちもできないのですが、震災は神戸だったり、東北だったり、熊本だったりする。でもそれはたまたまであって、他の地域がたまたま地震の被害を受けなかっただけのこと。私たちは生き延びたけれど、どこにあってもおかしくない話。そう考えたら、何もできないけれど、そのことを伝えることはしたい、被災した人たちと思いを共にしたいなあ、と思ったのが「神戸をわすれない・せたがや」を世田谷の地で続けて行こうと思ったきっかけです。長田区の野田北部・鷹取地区で、まちと人びとの復興と再生のようすを丹念に記録=記憶してきた、青池憲司さん+青池組に伴走しながら、世田谷で14巻におよぶ記録映画を上映してきました。 映画づくりが一段落ついたところで、2011年の3.11。青池さんたちは、宮城の教職員組合の仲間たちの要請にこたえ、石巻に行きます。そこで、地震と津波で壊滅した門脇小学校の地域の、子どもたちや地域の人たちがどのように3.11を生き、どのように新しいコミュニティをつくってきているのかを記録にとどめます。地域の復興・再生のプロセスは、神戸の長田のそれと通じるものがあります。私は、それは今のところ非被災地である世田谷や全国のあらゆる地域にとって、来るべき災害に、そしてその後にどう私たちは備えていくか、共通する大切な、だれもが向き合うべき課題と思っています。

 31回目となる「神戸をわすれない」、1月17日というこの大切な日にご案内させてください。

「まだ見ぬまちへ~石巻・小さなコミュニティの物語」
1月27日(土)6時15分より  世田谷区総合福祉センター三階(小田急線 梅ヶ丘あるいは豪徳寺から8分) 
なんと、東京での初上映会となります。ぜひお越しください。
グージー饅頭も待っています!

(星野弥生  070-5554-8433 marzoh@gmail.com))

ICANのノーベル平和賞受賞は私たちの希望

 日本が「戦争のできる国」になるべく、アベ政権が北朝鮮の脅威を利用し(なんだか、二人の独裁者はツルンでいるのでは、と思えるほど、絶妙なタイミングでミサイルが飛びますね)、改憲の悪巧みをしている日本、なんだか、これで年が終わってしまうのか、と悲しい気分がつのりますが、ここで明るいニュースは、ICANのノーベル平和賞受賞。今日、12月10日の1時(現地)からの授賞式をネットの映像で観ました。7日にピースボートの水案忘年会があり(水案は、水先案内人。船内、寄港地で訪れる国の事情を語ったりする役どころ。私も数年間はその端くれでした)、その日はICANの国際運営委員でもあるピースボートの共同代表の川崎哲さんがオスロに向かう日でもあって、壮行会を兼ねていました。ピースボートが、広島・長崎の被爆者の方々を船に乗せ、世界の各地で証言をし、交流をする、という活動を続けてきたことが、ICANの受賞につながりました。まさに、ピースボート! ものすごく嬉しいです。みんなの「いってらっしゃーい!」のエールに送られた川崎さんも、ビデオにバッチリ映っていました。
 カナダ在住の、セツコ・ソーローさんのスピーチ、素晴らしかったです。「人類と核兵器は決して共存できない」ときっぱり。13才の時に広島で被爆した時の思い出を生々しく語ります。「諦めるな、早く走れ!」という励ましで生き残った彼女ですが、351名のクラスメイトが焼け死に、4才の甥も含め家族も犠牲になりました。「もうこれ以上、悲劇を許してはならない」「9つの核兵器保有国が、これからの世代が美しい地球に住めなくなるようにしてしまう。そういう武器は不必要な害悪です。」「7月7日に核兵器廃絶条約に多くの国が調印をしたことは、被爆者が72年間訴えてきた、核兵器を終わらせる一歩だった。署名を拒否している国のリーダーは、ぜひ証言者の声を聴いて、調印をしてほしい。」「今夜、オスロの街をトーチを掲げて歩きます。どんな障害に直面しても、活動し、前に進み、暗闇を照らす灯を共にしましょう。これが素晴らしい私たちの世界が生き残るための情熱であり、責任です。」と結びました。最後は聴衆総立ちでした。涙を流している人たちも。セツコさんの前にスピーチしたベアトリス・フィンさんの「私たちは、核兵器を終わらせるか、世界を終わらせるのかの選択を迫られている」という言葉は、思わずハッとさせられます。
 それにしても、政府の反応はなんなのだ! 戦争を終わらせるため、との口実で落とされた原爆の唯一の被爆国でありながら、原爆を落とした当のアメリカの顔色をうかがうことしかせずに、条約に調印もせず、平和賞の受賞にシカトするばかり。ああ、ハズカシイ!いや、政府のこんな対応に他の国が呆れ、外圧が強まったらそれはそれでいい、と思ってしまいます。
 12月8日、「世田谷ボランティア協会をささえる会」での忘年会の折、会長の永井憲一先生(法政大学名誉教授、憲法の大家です。)が挨拶で、「ニュースを聴いていたら、猿がどこに逃げたとか現れたとか、そんなのばっかりで、ついに大切なことを言わなかった。今日は「開戦記念日」なんですよね。」と。8月15日は話題になるけれど、12月8日は語られもしない。始めがなければ終わりはないのに。さんざんな結果になったので、始めのことは後ろめたくていいたくないのでしょうか。都合の悪いことはうやむやにしていき、それに国民が慣らされていく、という状況ができているようです。歴史に学ばない、歴史を隠す。そんな国に未来はあるのか・・・。

抗う ということ

ような気がします。どれもさまざまな縁をいただいてのことです。まず、22日、「プレゼントです」と送られてきた映画会のチケット。林えいだいさんの「抗う」でした。調布まで足を運びましたが、会場で辛淑玉さんに会えた! 他にも調布の友人たちと会えました。終わらないで! と思うくらい引き込まれる映画でした。今では「炭鉱」なんて過去の遺物のようですが、石炭が日本の産業を支えてきた時代のこと。北九州といえば、炭鉱、でした。過酷な労働に駆り出されていたのが朝鮮の人たち。戦争に必要な武器を生産するための石炭をひたすら採掘するために徴用された人たちの中には15才の少年たちもいたのです。林さんの父上(神官でした)は、あまりに過酷な労働に耐えかねて脱走した朝鮮人を匿い、治安維持法により大変な拷問を受けたといいます。そんな親のもとで育ち、絶対に弱い人たちの立場にたって生きていく、と決めたのがえいだいさんでした。去る9月に亡くなったえいだいさん、この映画を観た一人ひとりが、そのいのちのバトンを受けた、そんな映画でした。ここで終わらせてなるものか、と。終わってからの予定外のトーク・セッションで、辛淑玉さんは言いました。「重たい映画でした。私は殺されるのだなあ、と思いました。障害をもった人も、弱い立場の人もすべて、殺される、と。」辛さんのリアリティには遠く及ばないかも知れないけれど、今のような時代、自分の意志と関係なく「殺される」という感覚が他人事ではなくリアルに迫ってきます。国の最高責任者とおぼしき人が「対話ではなく圧力を!」、とのたまわっているわけですから。外交に失敗した果てが戦争、です。いわば政治の失敗。そんな今だからこそ、どう「抗うのか」が切実に迫ります。こういう生き方をしていた人がいる。それは私たちの希望です。私たちはまったく非力ですけれど、えいだいさんの生き方に共感し、少しでもその近くにいたい、という思いが、私たちをあらたな「抗い」へとかきたてます。まず、この映画をいろいろなところで上映し、思いを共にしたい、切に思います。
 そして次の日は、能を鑑賞する機会を得、その後恒例のバッハ合唱団の演奏会で「ロ短調ミサ曲」を聴きました。どちらも今の私には必要な「エネルギー源」だったかなあ、と思います。
 明日は「福島の子どもたちとともに・世田谷の会」も共催しているイベントがあります。「その日、その時、こどものいのちを守るために」。地震が頻発し、北朝鮮のミサイルに怯えるこの国で、今後起こりうる原発事故に対し、私たちはどんな備えをすればいいのでしょうか。」兵庫県篠山市で、ヨウ素剤の配布などの具体的な対策を実施されてきた守田敏也さんと世田谷の保坂区長との対談です。1時半から、経堂の生活クラブ館地下一階で。できることから、まずこどもにいのちを守ることからやりましょう、ね。           
プロフィール

marzoh

Author:marzoh
はじめまして、星野弥生です。さまざまな教育や子どもに関する活動、スペイン語圏の国々と関わるNGO的な活動を通じて、人と人との糊付け役みたいになっています。そんな活動の報告やらお知らせをする場として、ブログなるものに挑戦してみることにします。

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